祈り
どうして、こんなことになったのだろう。
どうして、こうまでして、進まねばならないのだろう。
全ては――
照りつける陽射しは容赦なく、まるで身体の内部まで焼き尽くすのではないかと思うほどだった。
灼熱の先にあるのは、ただ立ち上る陽炎と、黄金色の砂の塊。
ジェイス・ガーランドは、暴力ともいえる陽光から身を守るため、ローブの端を手繰り寄せ、フードをさらに目深に被った。そして、腰に下げた水筒を手に取り、カラカラに乾いた口の中を湿らせる。
水は残り少なかった。いつまで持つだろうか。
この広大な砂漠の中で水が尽きれば、即ち、己の死をも意味する。
死。
死は、全ての終わりだろうか。
終わったというのなら、あの時に、ジェイスの全ては終わったのだ。
――彼女を失った時に。
少なくとも、ジェイスはそう感じている。
そして今、最期の希望に縋ろうとしていた。
『魂(たま)呼びの鏡』。
この果てしなく広い砂漠のどこかにある、オアシスに存在し、その力は自然の摂理を歪め、死者を蘇らせるという――
この世界に数多ある伝説の、そのひとつにしか過ぎないもの。
滑稽とも思える話に希望を託している自分に、ジェイスは今さらながら可笑しさを覚えた。重い足を引きずりつつ、込み上げてくる笑いを抑えきれない。
彼の乾いた笑い声は、吹き付ける砂混じりの風に抱えられて消えた。
もう、自分はとうに狂ってしまったのかもしれない。
『ジェイス――』
彼女の少し、はにかんだような笑顔も。
心地よく耳に響く声も。
深い海を思わせるような色の瞳も。
蒼みがかった長い髪も。
もう、傍らには無い。
(アレスティア――)
汗とは違う雫が、ジェイスの頬を伝い落ちた。
「――ジェイス・ガーランドだな」
唐突にかかった野太い声。
ジェイスが我に返り、顔を上げると、そこには、いつの間にか一人の男が立っていた。
ジェイスと同じように、薄汚れたローブを身に付け、フードを目深に被っている。そのため、表情は良く見えなかったが、ジェイスには、その男が笑みを浮かべているように思えた。手には、曲線を描く大振りの剣。
「やめてくれ――」
ジェイスの口は、勝手にうめき声のような言葉を絞り出していた。
「僕はもう、誰とも戦いたくないんだ……」
嘆願するように言ったジェイスを、男の嘲笑が包み込む。
「――だったら、『欠片』を素直に渡すことだな」
『魂呼びの鏡』には、欠けている部分があるという。
そして、その『欠片』を探し出し、鏡を完全な姿に戻した者にだけ、愛するものを蘇らせるという願いが叶えられる――
伝説では、そうなっていた。
ジェイスは、四年の歳月をかけ、『鏡』に関する情報を集め続けた。そのどれもが曖昧で、結局は徒労に終わるものばかりだった。
それでも諦めきれずにいるジェイスの前に、ボロボロの服を身に纏った痩せぎすの老人が現れ、一年を自分のもとで過ごすことが出来たなら、『欠片』を渡す、と申し出てきた。胡散臭いとは思ったが、ジェイスは藁にも縋る思いで、その話を承諾した。
老人と過ごした日々は、意外にも安らかなものだった。山奥に籠もり、日の出と共に起き、畑を耕す。そして、日々の生活に感謝をし、床に就く。それだけのことだった。
また、老人は、ジェイスに自然と共生する術や、様々な知識を与えてくれた。
『欠片』を見つけ出す旅に出てからというもの、一番安らげる日々だったとジェイスは思う。
そして、老人から、本物の『欠片』かどうかも分からない半透明の破片を渡され、彼はそこを去った。
それからというもの、今、目の前にいる男のように、『欠片』を奪い取ろうと、ジェイスの命を狙ってくる輩が急に増え、それゆえ、彼は『欠片』が本物なのではないか、ということを感じ始めた。
そして、ジェイスは沢山の命を奪ってきた。
その度に、苦い思いが胸に充満した。
人の生命を、己の手で断つこと。
相手にも、蘇らせたい大切な誰かがいるのだ、ということ。
自分のしていることは何だ――
「ボサっとしてると死ぬぜ? ――まぁ、こっちには都合がいいんだけどよ」
気がつけば、目の前に曲刀が迫っていた。ジェイスは慌てて脇へと避ける。そして、同時に腰に帯びた剣も抜いた。男の刀は、ジェイスのローブの裾を掠め、砂へと突き刺さる。
男は、すぐに刀を持ち上げると、二撃目を放って来た。
ジェイスはそれを剣で受け止める。
金属が擦れ合う音が辺りに響いた。
ジェイスは後方へ跳躍し、男との間合いをとる。だが、砂の足場はひどく悪い。バランスを保つので精一杯だった。
それに加え、うだるような暑さ。
眩暈がする。
だが、状況は相手も同じはずだ。
ジェイスはそう思い直すと、男へと突き進んでいく。男も、距離を詰めて来た。
再び触れ合う刃。
大刀を扱っているだけあって、男の力は強かった。
まともに戦っては負ける――
ならば。
ジェイスは、もう一度後ろへ下がると、足元の砂を思い切り蹴る。砂は、塵を辺りに撒き散らしながらも、男の顔面に命中した。男は堪らず目をつぶり、くぐもった悲鳴を上げる。
その隙に、ジェイスは男へ向かい、一気に駆けた。
だが、砂に足をとられ、ジェイスの剣は空を切り、ちょうど、相手に体当たりをかけたような形になってしまう。二人の身体はもつれ合い、地面へと倒れる。
ジェイスが男の上に馬乗りになった状態。男の刀も手を離れ、砂の上に転がっている。
このチャンスを逃す手はない。
ジェイスは、剣を、男の喉元へと目掛け、振り下ろす――
『――ジェイス、やめて!』
(ああ、まただ……)
いつも『欠片』を狙ってくる相手に止めを刺そうとする度に聞こえる、アレスティアの悲痛な叫び。
きっと幻聴だ。
そんなことは分かっている。
(アレスティア……君に会うためなんだ……)
そうやって。
いつも自分を納得させて、人を殺してきた。
全ては、アレスティア――いや、自分のために。
だが。
本当に、そうだろうか。
男の顔が、死への恐怖で歪んでいる。
死への恐怖。
アレスティアも、己の生命が途絶える時、怖かっただろうか。
大切な人。
きっと、この男にも、大切な誰かが居るのだ。
もう、終わりにしたい。
ひどく、疲れてしまった。
それに。
たとえ幻聴だとしても、もう、アレスティアの悲しい声は聴きたくなかった。
気がつくと、ジェイスは手に持った剣を放り投げていた。男が、怪訝な表情をする。倒れた拍子に脱げたフードの中の顔は、意外にも若かった。もしかしたら、ジェイスと同じくらいの年頃かもしれない。
「……あなたにも、生き返らせたい大切な人が居る?」
戦って来た相手に、初めてかけた言葉だった。男は呆然としたまま、無言で頷く。
「じゃあ、一緒に『鏡』を探そう。もしかしたら、蘇るのは一人だけじゃないかもしれない……そうじゃなければ、それからのことは、その時に決めればいい」
男は、黙ったまま、ジェイスの言葉を聞いていた。
「――共生する道も、あるかもしれないんだ」
ジェイスがそう言った途端、まるで虚空に吸い込まれるかのように男の姿が掻き消えた。
それと同時に、突風が吹き荒れ、周囲の砂が巻き上げられる。砂の渦に包み込まれ、辺りは闇に埋もれた。
そして、ジェイスの意識は遠ざかる――
「……ス……ジェイス……」
誰かが、自分の名を呼んでいる。
(アレスティア……?)
ジェイスは、ゆっくりと目を開けた。
そこには、決して忘れることの出来なかったアレスティアの顔があった。
「ジェイス……戻って来てくれて良かった……」
「……アレスティア……君……どうして……? ……『鏡』……」
涙を浮かべ、震える指先で頬を撫でてくるアレスティアを目の前にし、ジェイスは上手く言葉を見つけることが出来ない。
ずっとずっと、望んできた瞬間。
だが、ジェイスの胸は喜びよりも、戸惑いのほうに大きく占領されている。
「……そっか……これは夢……? それとも、僕は死んだのか……」
心地よく耳に響く声。
深い海を思わせるような色の瞳。
蒼みがかった長い髪。
だが、そう言ったジェイスに、アレスティアは小さく首を振った。
「違うの。あなたは生きている。それに……私はあなたに謝らなくちゃいけない」
「どうして……?」
そう言いながら、次第にジェイスの頭は明瞭になり始め、周囲を観察する余裕が出来てきた。
昏く、空気はひんやりとして湿っている。先ほどまでの暑さが嘘のようだった。所々に岩肌らしきものが見える。
どうやら、洞窟のような場所のようだ。
アレスティアは、ジェイスに触れていた手を離すと、静かに立ち上がる。
彼女は、淡く光沢を放つ、水色のドレスを着ていた。
「私は――水の精霊なの」
ジェイスは、上体を起こし、頭を左右に振る。
アレスティアの言っていることが、全く理解出来なかった。
それでも、彼女は構わず語り続ける。
「私は、本来はこの祠に住まう者――ここからは、出られない存在。でも、意識体を飛ばして、世界中を巡ることだけは許されていた……そしてジェイス、あなたに出会ったの」
ジェイスは、頭の中を必死で整理しようと努めるが、それも無駄だった。
「だけど、君は僕と一緒に暮らして……触ることも出来たし……それに事故で――」
実際、ジェイスは彼女に触れる事も出来たし、彼女と抱き合うことも出来た。それに、目の前で見たのだ。崖から落ち、無残な姿へと変わった彼女を。
「――意識体といっても、通常の人間と変わりはないの。普通に生活をすることが出来る……私が『死んだ』のと同時に――あなたがここに来たのよ」
「え?――それって……でも、葬式もあげて、メリルさんも、ガイセも来てくれたし――」
アレスティアは振り返り、青い目を真っ直ぐにジェイスに向けると、少し哀しげに微笑んだ。
「信じられないかもしれないけど……五年の間、行方不明になっているのはあなたのほう……私は『死んだ』時に、あなたもここへ連れて来てしまった」
次々とやってくる言葉に、ジェイスは混乱する一方だった。アレスティアの話していること全てが、世迷い言のように聞こえる。
「――世界の砂漠化が、急速に進んでいるのは、知ってる?」
急に話題を変えたアレスティアに、ジェイスは頭を切り換える余裕もないまま、黙って頷く。
工業の成長と共に、緑地が失われ、砂漠が広がっている、という話は、聞いたことがあった。ジェイスが旅して来た広大な砂漠も、昔は草原地帯だったという。
「あれは、人間のせいだけじゃない。神からの警告なの……水の精霊である私が、ここに封印されたから、砂漠化は加速度的に広まった……このままでは、あと数十年もしないうちに、世界の大部分が砂に埋もれることになる」
そこで、アレスティアは一度大きく息をついた。
「――でも、人間たちは気づかなかった。自然との共生を図ろうとしないまま、今も工業化ばかりを進めて……」
『共生』という言葉を耳にし、ジェイスの脳裏を、あの痩せぎすの老人の姿がよぎる。
「私はあなたに出会って、恋におちてしまった」
アレスティアはそこで、ジェイスが好きだった、はにかむような笑顔を見せた。
「だから、私の意識体が『死んだ』時、神がチャンスを与えて下さった……私が愛した人が、どこまでやり通せるか、それに賭けた――人間に、賭けたの」
「……じゃあ……僕が今までやって来たことは……?」
ジェイスの頭の中を、今まで起きた様々なことが駆け巡る。
「――全て、あなたの中で起こっていたこと」
ジェイスは、何となくだが、分かったような気がした。
彼は、自分で、『自分自身』を殺し続けてきたのだ。
だから、あの男と『共生』を図ろうとしたことで、目覚めることが出来た。
『自分』を許さねば、旅は終わらなかったのだ。
そこで、ジェイスは、洞窟の片隅に、光るものを見つけた。
何かに導かれるかのように、彼はそちらへと歩き出す。
そこには、古ぼけた小さな鏡があった。端が少し欠けている。
「それが、『魂呼びの鏡』。伝説とは、少し違うけれど……蘇るのは、死者じゃないから」
後ろから、アレスティアの声がかかる。気のせいだろうか。彼女の声が微かに震えているように思える。
けれども、ジェイスは迷わず、懐にしまってあった、『欠片』を、鏡の欠けた部分へと嵌め込んだ。
その瞬間。
眩いばかりの閃光が、辺りを埋め尽くした。
轟音を上げながら、洞窟が崩れ始める。
ジェイスは、思わずアレスティアを庇うように抱き寄せていた。
そして、辺りには再び、あの砂漠が広がる。
だが、二人の足元から、緑色の草が芽吹き始めていた。
やがて、瞬く間にその勢いは増し、二人を中心に、緑の円が拡大していく。
あっという間に、砂漠だったものは、巨大な草原地帯へと化していた。
「――これで、封印は解かれた」
アレスティアが言う。
「ただ、人間に与えられたチャンスは一度だけ。だって――私も人間になってしまったから」
そうして、アレスティアはジェイスに強く抱きつく。
「……私のこと、怒ってない?」
まだジェイスは、事態を完全には飲み込めていない。
けれど。
アレスティアがすぐ傍に居る。
それだけで、充分だった。
「――怒ってない。だって、君を取り戻すために旅をして来たんだから」
やっと込み上げて来た喜び。
それを確かめるかのように、ジェイスはアレスティアを強く抱きしめた。
「それに……チャンスは一度だけだよ? もう、私には精霊としての力はないから……」
アレスティアの弱々しい声に、ジェイスは彼女から身体を離し、青い目をしっかりと見据えながら微笑み、口を開く。
「人間は、そんなに愚かじゃないよ……これからだって変わっていける」
アレスティアは、その言葉に安心したのか、小さく頷き、笑みを返す。
そして、二人は静かに、キスをした。
一陣の風が、吹き抜ける。
二人に――人間のこれからに祈りを捧げるかのように、再び生まれ出た草原を照らす太陽は、眩い光を降り注がせていた。