出会い 1
(くそっ……面白くねぇ……)
閑散とした酒場のカウンター席で、男が一人、酒を煽っていた。
大柄でがっしりとした体躯。紺色に鈍く光る金属製の鎧を着、腰には装飾も無く簡素ではあるが、手練れの刀匠の作であると思わせる、見事な大ぶりの剣を携えている。短めの黒髪に、造作の整った精悍な顔つき。
しかし、眉根に皺を寄せた表情からは、剣呑な雰囲気が漂っていた。
「旦那ぁ、困りますよ、もう店じまいの時間でして……」
「喧しい! 俺は今、機嫌が悪ぃんだ!」
困り果てた顔の店主が言う言葉を、すぐさま男――ヴィンスターレル・サーバは、飢えた獣の上げる咆哮のような声で遮る。
店主は怯え、蒼ざめた顔になると、それ以上は何も言うことが出来ず、仕方無しにグラスを磨き始めた。
ここはアレスタン王国。
リドス大陸の東端に位置し、王朝設立から五百余年の歴史を持つ。
長きに渡り、隣国であるメイドス共和国との諍いは絶えず、幾度も戦争を繰り返していた。中でも、アレスタンとメイドスに接した北側に位置する巨大な平原、俗に『中空の平原』と呼ばれる土地をお互いに我が物にしようとする争いは根深かった。しかし――
(いきなり、和平協定なんて組みやがって……)
先日行なわれた両国の首脳会議によって、突然長かった領土争いに終止符が打たれたのである。ヴィンスターレルは、戦時中に雇われた、多くの傭兵の中の一人だった。しかし、そのずば抜けた剣の才能を見込まれ、一時は王宮正規軍の副隊長まで昇りつめた事もあった。
だが、誰にでも分け隔てない態度で接する彼は、部下たちには篤く慕われていたが、何事かというと『秩序』、『作法』を重んじる官たちからは、『たかが傭兵上がりのならず者が』と疎んじられていた。
宮廷の作法など、ヴィンスターレルにはもとより理解するつもりもなかったし、口先だけで何もしようとはしない上官とも、ことごとく反りが合わなかった。
人々はやがて、彼の鎧の色から、ヴィンスターレルの事を『青い狼』と呼ぶようになった。
同じく『傭兵上がり』の部下からは、その獰猛なまでの剣の腕で、副隊長までのし上がった賞賛と憧れを込めて。そして、官たちからは、礼儀を知らない獣のような男への、侮蔑と嫌悪を込めて。
そして、今回、和平協定が結ばれたことにより、多くの傭兵たちが解雇され、軍備も縮小へと向かっていった。そして、宮廷軍の者たちも、少なからず軍事以外の職へと回された。
だが、ヴィンスターレルだけは、彼を疎む多くの官たちの策略により、何の前触れも無く、幾許かの金を持たされ、宮廷内から追放されてしまったのである。
それからというもの、彼は毎晩、酒場に入り浸り、行き場の無い鬱憤を晴らそうとしているのだった。だか、彼の中の憤りはそんなものでは治まるはずもない。
(畜生!)
ヴィンスターレルが、心の中で、もう何度目か忘れるほどの悪態をついていたその時――
店の外から、悲鳴が聞こえた。
(――!?)
事態は飲み込めないながらも、ヴィンスターレルは腰に帯びた剣の存在を確かめると、カウンターに無造作に酒の代金を置き、そのまま外へと飛び出した。
「お嬢ちゃんよぉ。ちぃとばっか俺と遊んでくれるだけでいぃんだけどなぁ」
「やめてっ……ください……」
「そんなこと言っちゃってさぁ。こんな夜中にほっつきありぃてんだから、その気があんだろぅ?」
「ちがっ……痛っ!……離してっ……」
酒場からやや離れたところで、一人の男が少女に絡んでいる。
元々、ヴィンスターレルは繁華街を嫌って、人通りも人家も少ない酒場に足を運んでいたから、この時間ともなるとあたりには全く人気が無い。下弦の月が、周囲を淡く照らすだけの暗闇だったが、人並み外れて視覚も聴覚も優れているヴィンスターレルには、男たちの姿も、会話もはっきりと理解することが出来た。
男は相当酔いが回っているようだ。足腰も安定しておらず、呂律が怪しい。
(下衆な野郎だ)
ヴィンスターレルが、男に声をかけようとしたその時――
「止めなさい」
朗々とした声が、闇に響き渡った。
月を背に、細身の影が立っている。
男――いや、背格好からいって、どうやら少年のようだ。
(何だ、あれは!?)
ヴィンスターレルは息を呑んだ。少年の傍らには、純白の美しい毛で覆われた、巨大な獣が付き添っていたのだ。
(狼……か?)
その獣は、色こそ違うものの、以前ヴィンスターレルが森で出遭った事のある、狼に酷似していた。
「な、何だぁ? てめえは?」
突然の少年の出現に、男は一瞬怯んだようだが、相手が子供だと知って安堵したのか、すぐに態度を強気に改めた。
「貴方に教えて差し上げる必要はありません」
「――この餓鬼が!」
少年のにべも無い返答に、怒りをあらわにし、男はつかんでいた少女の手を離すと、少年にいきなり殴りかかった。
(拙い!)
ヴィンスターレルが助けに行こうと動きかけたが、それより早く、少年は僅かな動きだけで、男の拳を避ける。
「――がっ!」
男はそのままバランスを崩し、情けない声を上げながら、地面へと顔面から突っ伏した。
「さぁ、早く逃げてください」
少年は余裕たっぷり、といった態度のまま、少女に顔だけを向けると、そう告げる。
「で、でも……」
「僕のことならご心配頂かなくて大丈夫です。さぁ、早く」
「……あ、ありがとうございます!」
少女は荷物を持ち直し、慌ててその場から離れると、脇目も振らず、ヴィンスターレルの横を走り抜け、暗闇の中へと消えていった。
「この……クソ餓鬼がぁ!」
男が懐から何かを取り出しながら立ち上がる。月明りに照らされて、それは鈍く光を放った。
(ナイフか……)
先ほどの少年の動きから見て、相当の手練れだ。あの程度の男にやられはしないだろう。そう思いながらも、万が一の事を考え、ヴィンスターレルが今度こそ動こうとしたその時、少年が再び口を開いた。
「悲しいのですね」
「何だとぉ!?」
こんな事を言われるとは、予想もしていなかったのだろう。男の声音には、驚きの表情が隠せない。
(何だ? あいつは?)
ヴィンスターレルも同じ心境だった。この状況で、一体何を言い出すのだろうか。だが、次に少年が発した言葉は、もっと不可解なものだった。
「貴方の恐怖の対象」
その刹那。
「なんだ!? ……へ、蛇ぃぃ!?」
男は突然声を上げ、うしろに仰け反る。
「そうですか」
そう言うと少年は一人頷き、厳かな声で、こう繰り返した。
「蛇」
「うわぁぁ! ……やめっ……助けてくれぇ!」
(な……一体何が……?)
ヴィンスターレルには、何が起こっているのかさっぱり理解できない。男は悲鳴を上げ、そこら中を走り回り、転び、また立ち上がり、逃げ惑う。まるで男が一人で奇妙な踊りを踊っているかのようだ。
「解除」
少年がもう一声発すると、男の動きはぴたりと止んだ。男はすっかり怯えきり、ガタガタと震えている。
「あなたは、本当は蛇自体を怖がっているわけではないのだと思います。ご自身で、心の奥底をもっと見つめてみてください。あ、それと、これはお返ししておきますね」
少年はいつの間にか、男が落としたナイフを手で弄んでいた。それをそっと、男の掌に握らせる。
「ひぃっ!」
男は口の中で短く悲鳴を上げると、その場に崩れ落ちた。どうやら気を失ったらしい。
「そこの方、もう終わりましたから大丈夫ですよ。助けて下さろうとしていたみたいで……」
少年が言葉を言い終わらないうちに、ヴィンスターレルは素早く動き、抜き身の剣の切っ先を少年の喉元に突きつけた。
「貴様、何者だ」
「とりあえず、その物騒なものをしまってください。僕は怪しい者じゃないですよ」
少年は笑みを浮かべ、微動だにしない。
ヴィンスターレルは、少年から目を逸らさず、素早く観察した。近くで見ると、非常に整った顔立ちをしている。頭には大陸中央部にある、ニンガ国の行商人が身に着けるような布を巻きつけ、丈の短いズボンの上から簡素な長袖のシャツを着、革製のベルトで留めてある。
その時ヴィンスターレルは、小さな違和感を感じた。服装は多少奇妙ではあるが、気に留める程でもない。顔立ちは人目を引くほどに整ってはいるが、そのせいではないような感じを受けた。では、何の違和感なのか……
(だが、そんなことより……)
「妙な言葉を言っただけで、あの男を踊らせ、気を失わせたり、でかい獣を侍らせて、夜中にほっつき歩いてる輩のどこが怪しくないのか、教えてもらおうか」
ヴィンスターレルが、そういった瞬間、それまで笑みを絶やさなかった少年の顔に驚きの表情が走った。
「彼が――この獣が見えるのですか?」
「何を言っている? そんな馬鹿でかい獣、目立つに決まってるだろうが」
「ついて来てください」
少年は唐突に、くるりと踵を返すと、ヴィンスターレルに背を向け、早足で歩き出した。
「お、おい! ちょっと待て!」
突然の出来事に、すっかり気が削がれたヴィンスターレルは、剣を鞘に収めると、慌てて少年の後を追った。
(何故俺は、こんな奴について行ってるんだ……)
ヴィンスターレルは、早足で歩く少年の後を追いながら、先ほど感じた違和感の正体をぶつけてみることにした。
「貴様、なぜ男の格好をしている。保身の為か? だが、夜中にうろついて居るくらいなら、たいした役にも立たんぞ」
「勘が鋭い。僕の変装は、ばれた事が無いんですけどね。流石に『青い狼』と異名を取る、ヴィンスターレル・サーバというべきでしょうか。でも、僕が男の格好をしているからといって、貴方に何か不都合がありますか?」
正論である。しかし――
「……何故貴様が、俺の名前を知っている」
「ヴィンは有名人ですからね。『青い狼』とは、体制に逆らい孤立している、という揶揄の意味も含まれているわけですし」
少年――女は、くすくすと笑いながら言う。
「なっ、それ……貴様、この俺を気安く『ヴィン』などと呼ぶな!」
あまりにも不可解なことが多すぎて、流石に平静を保てなくなったヴィンスターレルは、それだけを言うので精一杯だった。
「だって、長いですから。ヴィンの方が呼びやすいじゃないですか。ちなみに、僕の名前はエシャルリアーデ・ラサイン。長いので、ミスト、で結構です」
「どこをどうやったら、『エシャルリアーデ・ラサイン』が『ミスト』になるんだ! 一文字も合ってねぇだろうが!」
「意外と細かいんですね、ヴィン。名前なんて、ただの記号に過ぎませんよ」
「だから気安く呼ぶな!」
(駄目だ……こいつと話してると調子が狂う……)
戸惑いと怒りを通り越し、虚脱しかけたヴィンスターレルの脳裏を、突然何かがよぎった。
(エシャルリアーデ・ラサイン……どっかで聞いた名前だ……)