微睡みの大地

出会い 2

「おい。どこまで行くんだ? このままじゃ、王都を出ちまうぞ」
「それでいいんです。僕の家までご招待しようかと思いまして」
「……何で俺がお前の家なんかに行かなきゃならねぇんだ」
(だが……)
「ヴィンも僕に、聞きたいことが山ほどあるでしょう?」
「うっ」
 まるで心の中を見透かされたようなエシャルリアーデ――ミストの発言に、ヴィンスターレルは言葉に詰まる。そう、彼女の言うように、聞きたいことを数え上げたらきりがない。それにヴィンスターレルは、今までの経験から、自分の勘に絶対の信頼を置いている。彼の勘では、怪しげではあるが、この女性が危険な存在だとはとても思えなかった。
(もしくは……今回ばかりは俺の勘が狂っちまったか、だ)


 もう夜明けも近づき、空は白み始めていた。まばらに建つ人家から、ちらほらと人の影も表れる。人々は、紺色の鎧の大男と、実際は女なのだが少年にしか見えない奇妙な二人連れに、あからさまな好奇の視線を向けていた。
(しかし……)
 ミストの傍らに寄り添い、悠然と歩く白い毛並みの大型獣に目を向けている者は誰もいないように見える。ぐるりを石壁に囲まれている王都マイラの北門で、門番に通行証を見せ、通り抜けるときも、誰一人として獣の存在を咎める者は居なかった。

『彼が――この獣が見えるのですか?』

 ミストが先ほど言った言葉が引っかかる。
(本当に、俺にしか見えないのか?)
 ヴィンスターレルは、じっと美しい獣を見つめる。だが獣は、そ知らぬ顔をして歩き続ける。


 暫く街道沿いに歩き、やがて二人はそこを離れ、草原の中を歩いていた。抜けるような秋晴れの空。既に日は高く昇っている。
「おいおい、一体お前の家はどこにあるんだよ……」
「もうすぐです」
(行きがかりとはいえ、俺は何て馬鹿なんだ……)
 ヴィンスターレルが何度目かの自己嫌悪に陥っていたその時、ふと彼に閃くものがあった。
「この方角……『鎮守の森』じゃねぇか!?」
「そうですよ」
 驚愕の声を上げるヴィンスターレルに、ミストはさらりと答える。

 王都マイラの北東に在る森。
 森自体の規模はさほど大きくはないものの、一度足を踏み入れると道が分からなくなり、何故かまた、入った場所へと戻ってきてしまう。その為、古くから人々は、この森に精霊が宿ると信じ、『鎮守の森』と呼び、近づいてはならない神域として崇めていた。

(『鎮守の森』……『エシャルリアーデ・ラサイン』……)
「お前、まさか、宮廷専属占術師の……?」
「ご名答です」
 驚きを隠せないヴィンスターレルに、ミストはにっこりと微笑んだ。

 アレスタン王国は、王が政を行なう際の相談役として、宮廷に専属の占術師を招き入れることが慣習となっていた。現在の国王、アレスタン十四世にも、例外に漏れず専属占術師が居る。その者の名前こそが、『エシャルリアーデ・ラサイン』であった。
 ただ、歴代の占術師は、国王以外には謁見しない。占術師と王が会う際は人払いをされ、王の私室へと招き入れられる。どうやっているのか周囲には謎のままだが、誰も気づかないうちに王宮の奥深くへと入り込み、人払いが解かれた後には、もう既に占術師の姿はない。王の側近でさえ、顔すら知らぬという状態だった。
 ただ、名前だけは知れ渡る。というよりも、王朝設立以来、『エシャルリアーデ・ラサイン』という名は変わっていないのだ。そして、『エシャルリアーデ・ラサイン』は、『鎮守の森』に住んでいる、という噂が、ほぼ定説となっていた。それ以外に相応しい場所が無いからである。ちなみに以前、ヴィンスターレルが職務で立ち寄り、狼を見かけたのはマイラの南西に位置する森だった。
「成る程な。名前だけ引き継いでいるわけか」
「これまたご名答、です」
 言いながらミストは必死で笑いをかみ殺している。
「何が可笑しい」
「……失礼。『お前、いくつだ?』なんて聞かれたらどうしようかと思いまして」
「俺はそこまで馬鹿ではない」
 憮然とした表情で見返すヴィンスターレルに、ミストは堪え切れなくなったのか、くすくすと笑い声を漏らした。
(……それに、宮廷に頻繁に出入りしている『エシャルリアーデ・ラサイン』であれば、俺のことを知っていてもおかしくない)
 ミストが言ったように、『青い狼』は、色々な意味で有名なのだ。

 
 その後、丘をいくつか越えると、やがて鬱蒼とした木々の塊が見えてきた。
 ――鎮守の森である。
(……待てよ)
 そこで、ヴィンスターレルの脳裏に、ふと、よぎるものがあった。
「おい、ミスト。今回の和平協定って……もしかして、お前が?」
「はい。僕が陛下にご提案しました。今まで何度も申し上げたのですが、中々首を縦に振っては下さいませんでしたのに、今回、急に提案を呑んで下さって……それが、多少引っかか……ぐぅっ!」
 ヴィンスターレルは、ミストが言葉を言い終わる前に、いきなり彼女の服の襟を掴むと、怒りを露わにし、こう言った。
「お前が余計な事をしやがるから! 俺は職を追われ……」
「ヴィン。人を殺して楽しいのですか? たかが領土争いごときで、戦争をするのは愚かな事だとは思わないのですか?」
 今度はミストが、ヴィンスターレルの言葉を遮った。
 日の光の下で見る、ミストの瞳は碧かった。
 全てを見透かされているような。
 深い。深い海のような碧。
 彼女は無表情だったが、ヴィンスターレルには、その瞳が深い悲しみを湛えているかのように見えた。
「……くっ」
 ヴィンスターレルは小さく呻くと、ミストを掴んでいる手を、静かに離す。
(――そんなこと)
 人を殺して、楽しくなどはなかった。人が死ぬのを見て、嬉しくなどなかった。戦場で、さっきまで酒を飲んでいた仲間が鮮血を上げながら斃れていく時も、武芸の鍛錬をした部下の首が、助けを求めるようにこちらを見ながら宙を舞っていく時も、苦い思いしか残らなかった。
 『敵』を一人斬る度に、今殺した相手にも、待っている家族がいたのだろうか、恋人がいたのだろうか、友人がいたのだろうか、大切な人はいたのだろうか、大切なものは……あるいは、大切なものもなく、天涯孤独の身なのか――己自身のように。
 そんな事ばかりが、疲弊した意識の中で巡っていた。
 こんな下らない争いなど、やめてしまえば良いのだ――幾度そう思ったことか。だが、生きるためには目の前の『敵』を斃さねばならなかった。食っていくためには『職務』を全うしなければならなかった。
(俺は、この手で……)
 一体、何人の人生を奪ったのだろう。
 一体、何を掴みたかったのだろう。
「……ヴィン」
 声をかけられ、我に返ると、ミストがこちらを心配そうに見ている。
 ヴィンスターレルは、何も返事をしなかった。
 そして、二人は、重苦しい空気を従えたまま、『鎮守の森』へと無言で歩みを進める。


 木々が日を遮り、森の中は昼でも暗い。
(ここが『鎮守の森』か……)
 流石の『青い狼』も、『鎮守の森』へ入るのは初めてである。周囲の木々は、太古よりここに棲み続けているのだろうか、大人が数人で手を繋いでも幹を抱え込めそうにないほどの大木ばかりだ。
 どこかで鳥の鳴く声が聴こえる。
 森に入ってから、どのくらい経っただろうか。
 突然、視界が開けた。
「……すげぇ」
 ヴィンスターレルは思わず感嘆の溜息を漏らす。
 そこにはこの森に似つかわしくないほどの、白い豪奢な建物が聳え立っていた。ぐるりを城壁のような壁に囲まれている。石を積み重ねて出来た、重厚なつくり。長方形を幾つも積み重ねたような形が、奇妙といえば奇妙だが、その建物は、何故か威厳に満ちていた。
 ミストの後について壁伝いを歩くと、アーチ型をした、黒光りする巨大な鉄製の門が見えて来る。彼女がそこの前に立つと、門はやや軋む音を立てながら、ひとりでに内側へと開いた。
「――なっ!?」
「どうぞ」
 ヴィンスターレルが驚きの声を上げていると、ミストは彼を振り返り、門をくぐるように促した。
「お帰りなさいませ」
(――!?)
 突然かけられた声に、ヴィンスターレルは慌てて腰の剣に手を遣る。だが、ミストは平然とそちらを向くと、声の主にこう告げた。
「ただいま、ジェイム。でも、気配を消して立つのは、少しばかり趣味が良くないと思いますよ」
「申し訳ありません。万が一の事を考えての行動ですので」
(この俺が、気配を読めなかった……!?)
 ヴィンスターレルは、冷たい汗が背中を伝うのを感じた。『青い狼』という渾名は伊達ではない。彼は人並外れた感覚能力を持つ男なのだ。その彼に気配を感じさせなかったというだけで、相当のやり手だということが分かる。
「ヴィン、ご紹介します。彼は執事のジェイム。ジェイム、この方は、僕のお客様で、ヴィンスターレル・サーバ」
「ほう、貴方様が……」
 声の主が、ヴィンスターレルの方を向く。
 鷲鼻で浅黒い肌。彫りの深い顔立ちだった。真っ白な髪をうしろに撫で付け、これもまた白い口髭を蓄えている。ざっと見た所、六十は過ぎているだろう。しかし、背筋はしゃんとしていて、肌の血色も良い。今は満面の笑みを浮かべ、顔中を皺くちゃにして、黒い瞳でヴィンスターレルを眺めていた。いかにも好々爺、という雰囲気だ。
「ジェイム、お客さまに失礼ですよ」
「いやいや、サーバ様、失礼を致しました。何しろ久方ぶりのお客様ゆえ。しかも、彼のご高名な『青い狼』とお目見えできるとは……」
(この爺さんが、執事!?)
 ヴィンスターレルは眩暈を起こしそうになった。自分に気配も察知させないような老人が、執事をやっているなどとは到底信じられたものではない。しかも服装も、宮廷内で執務をしている者たちがしているような身なりではなく、いかにも動きやすそうな、上下とも黒のシャツとズボン。まるで武道家のような出で立ちだ。ただ、生地が高級なものだということは一目でわかる。
「……ではヴィン、ここで立ち話も何ですから、入って下さい」
 ミストの一声で、三人は屋敷の中へと入ることになった。ジェイムが先に立ち、黒塗りの木材でできた、両開きのドアの前に立つと、ドアが音もなく内側に開く。
 今度は、ヴィンスターレルは声を出すこともできなかった。ミストと出会ってからというもの、奇妙なことが多すぎる。今まで忘れていたが、ミストの傍らを見ると、そこにはやはり、白い獣がいた。
(あとで纏めて聞こう……)
 疲れきったヴィンスターレルは、溜息をつきながら、二人の後に続いた。


 屋敷の中は、とても広かった。
 ただ、ヴィンスターレルが最初に受けた印象は、意外に質素、というものだった。屋敷の規模から考えて、宮殿のように豪華に飾り立てられているものと思っていたのだ。
 入り口から入ってすぐに、天井の高いホールのような空間になっていた。正面には上の階へと続く、大きな木製の階段。階段の両脇の手摺りがそのまま二階の部分で二手に別れ、落下防止のための柵になっている。二階にはドアが三つ見えた。
 一階は広い空間の中央に、木製で背の低い円形のテーブルと、数人は座れるだろうか、幅広い黒い革製の長椅子が二対あるのみ。部屋の左右には、これも木製のドアが二つだけあり、階段の両脇は、奥へと続く通路になっているようだった。床には高級そうではあるが、地味な柄の絨毯が敷き詰められている。向かって右側のドアの側には白い石でできた暖炉があり、火がともっている。薪がはぜる音がした。
(なんでこんなに明るいんだ?)
 森に入った時間から考えて、もうそろそろ夕刻のはずだ。それでなくても、森の中は昼間でも暗い。ランプや蝋燭の類も無いのに、屋敷の中はまるで日の光が射しているかのように明るい。改めて天井を見上げてみると、天井がほの白く光っていた。
(あとで纏めて聞こう……)
 再び、ヴィンスターレルはそう決意すると、勧められもしないうちから中央にある長椅子の一つに近寄ると、どっかりと腰を落とした。柔らかくて座り心地が良い。
「お帰りなさいませ。珍しいですね、お客様ですか?」
 突然、抑揚のない女の声がした。
 ヴィンスターレルは、今度は驚かなかった。黙って腕を組んだまま、声のしたほうに目を遣る。
「ただいま、アーシェ。あ、僕はちょっと着替えて来るから、お客様にお茶をお出しして」
 ミストの前には、執事のジェイムと同じような格好をした若い女が立っていた。ただ、こちらの服の色は深みのある赤だ。肩のあたりで切り揃えた髪の色はやや青みがかった黒。歳は十七、八くらいだろうか。顔立ちにまだ幼さが残っている。色が白く、小ぶりな顔をしていて、その中で、大きめの目が際立っていた。これで笑顔でも振りまけば愛嬌があるのだろうが、いかんせん表情に乏しい。無表情といってもいい。
 背丈はミストより少し小さいが、女性としては平均的といえるだろう。ミストは少年としてみればそうでもないが、女性としてみれば割合に背が高い。
(何故ここの連中は、そろいもそろって、気配を消して現れやがるんだ!)
 ヴィンスターレルは心の中で毒づいた。この世に自分以上のつわものなどいない、というほど傲慢なつもりはないが、自分が気配を察知できないような人間がいっぺんに二人も現れたとなると、やはり自尊心が傷つく。
「畏まりました」
 アーシェと呼ばれた少女は抑揚のない声と表情でそう言うと、向かって左側の、階段脇の通路へと消えていった。そしてミストは、パタパタと靴音をさせながら、階段を昇っていき、二階の一番右側のドアの中へと入っていく。白い獣も、一緒にミストについていった。


(着替えって……いつまで待たせるんだ?)
 アーシェが持ってきた、種類は分からないが良い香りのする茶を啜り、ヴィンスターレルは苛々しながらミストの登場を待っていた。茶の替わりを三杯ももらったが、一向にドアから出てくる様子がない。大体、着替える意味などあるのだろうか。
 ヴィンスターレルから少し離れたところで、アーシェは相変わらずの無表情で立っている。ジェイムは雑用があるとかで、どこかに行ってしまった。どちらにしろ、ヴィンスターレルは、この二人から話を聞く気にはなれなかった。
 それにしても、この広い屋敷の中に、使用人はたった二人しかいないのだろうか。世話をする主人が一人だけとはいえ、屋敷の維持をするには、少なすぎるような気がする。それとも、ヴィンスターレルに気配を察知できないような人間が、まだ潜んでいるのだろうか。そう考えると、また頭がくらくらしてくる。
(あとで纏めて聞こう……)
 ヴィンスターレルが三度、そんなことを考えた時、二階のドアが開く音がした。
「大変お待たせして申し訳ありませんでした」
 歌うような声。
 こつ、こつ、と靴音が階段に響き渡る。
「……え?」
 もう驚かない、と決心していたヴィンスターレルだったが、思わず持っていたカップを落としそうになった。
 流れるような金色の長い髪。
 上品な光沢を放つ、紫色のロングドレス。
 滑らかな白い肌、整った眉。真っ直ぐ通った鼻筋と、小さな唇。
 そして、長い睫毛と緩やかな曲線に囲まれた碧い瞳。
 目の前には、絶世の美女が立っていた。
「ヴィン。改めまして、わたくしはミスト・フローティアと申します」
「お、お前!? だって……」
「どうかなさいましたか?」
 絶世の美女は、ヴィンスターレルに向かって、艶然と微笑んだ。


 目の前の美女――ミストは、少年の格好をしていた時とは、醸し出す雰囲気が全くといって良いほど違う。あの時も非常に整った顔立ちをしていたが、それからさらに、顔の造作を整えなおしたかのようだった。
 それに、今までは少なくとも自分よりは年下だと思っていた。だが、今のミストを見る限りでは、恐らく二十代半ば。ヴィンスターレルと同じくらいだろう。
「お前、肌の色とか、髪の色とか……顔、とか……」
「その程度でしたら、お化粧でどのようにでもなります」
「声も、違う……」
「わたくし、声音を変えるのは得意なのです」
(……こいつ、偽者じゃねぇのか?)
 ヴィンスターレルの考えを読んだかのようにミストは続ける。
「もしかして、お疑いになっていらっしゃるのですか?」
 その言葉に、ヴィンスターレルはむっつりと黙り込んだ。
「瞳の色は同じでしょう? それに、彼も傍にいます。彼は、わたくしの傍を離れることはありません」
 確かに、こちらをじっと見つめる目の色は、『鎮守の森』に入る前、間近で見たものに間違いない。白い獣も、出会った時と同じように傍に控えている。
 話題が白い獣の事に触れた途端、いつの間に戻ってきていたのか、ジェイムが「ほぅ」と感嘆の声を上げた。
「お嬢様、サーバ様には彼が見えるのですね」
「そう。だからお招きしたのです」
「予見のとおりですね」
(『予見』? 何なんだそれは……?)
 また訊ねることが増えてしまった、と思いながら、ヴィンスターレルは確信していた。

 『僕の変装は、ばれた事が無いんですけどね』

 こんな『変装』をされたら、ばれる訳が無いだろう。だが、彼は、自分の勘に絶対の信頼を置いている。そして、その勘は、今まで一度も外れたことがない。
(こいつは間違いなく、ミストだ)
 そして、ヴィンスターレルは、少しの沈黙の後、口を開いた。
「色々聞きたいことはある。とにかく、山ほどある。その前に、一つだけ聞いてもいいか?」
「どのようなことでしょう?」
 碧い瞳が好奇心を湛え、ヴィンスターレルを見ている。
「どうして、あそこまで変装する必要がある? お前ほどの技術を持っていれば、もっと簡単なもので済むだろう?」
「ああ、そのことでしたら……」
 ヴィンスターレルは、息を呑んでミストの次の言葉を待つ。
「ただの趣味です」
 ヴィンスターレルは脱力のあまり、長椅子から滑り落ちた。

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