微睡みの大地

出会い 3

「……で、だ」
 長椅子に座りなおし、呼吸を整えると、ヴィンスターレルは手に持っていたカップをテーブルに置きながら、再び口を開いた。
 それが合図だったかのように、ヴィンスターレルの向かいの長椅子にミストが近づき、優雅な仕草で腰を下ろす。いつの間にか姿を消していたアーシェがこちらに近づくと、「失礼します」と声をかけ、ヴィンスターレルとミストの前に、それぞれカップを置いた。カップからは温かな湯気が立ち昇っている。
 アーシェはヴィンスターレルが置いたカップを下げると、それを持って、また階段の左脇の奥へと音も無く歩いていった。恐らく、向こう側は調理場か何かになっているのだろう。
「俺は、聞きたいことが山ほどある、と言ったな?」
「はい」
「質問に答えてもらおうか」
 すると、ミストは少しだけ考えるように頬に手を遣ると、穏やかな口調でこう言った。
「質問の内容にもよりますが……わたくしの中でも整理がついていない部分もあることですし、出来ましたら、もう少しお時間を頂きたいのですが……」
「――あのな! 俺はお前に会ってからというもの、変なことばっか続いて迷惑なんだ! さっさと答えてもらいてぇんだよ!」
 ミストの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヴィンスターレルは堪りかねて大声を出す。正直なところ、茶ではなく酒でも飲みたい気分だった。
「そんなに大きなお声でなくても聞こえます。わたくし、まだ耳は遠くなっておりませんから」
(こいつは……)
 微笑を絶やさぬまま、しれっと答えるミストに、引きつるこめかみを抑えながら、ヴィンスターレルは、溜まっていた疑問の数々を一気にまくし立てた。
「まず、俺をここへ連れてきた目的は何だ? あの酔っ払いには何をした? その白い獣は何者だ? 何故、他の連中には見えず、俺にだけ見える? それに何故この屋敷は見つからない? 『鎮守の森』で迷うのと関係があるのか? ここのドアがいきなり勝手に動くのは何でだ? ジェイムとアーシェ、か? こいつらは一体何者だ? この屋敷に居るのは三人だけか? こんなでかい屋敷を、こいつらだけでどうやって維持している? それに、こんな暗い森の中で、ここは何故こんなに明るい? 何故天井が光っている? そして、今言っていた『予見』というのは何のことだ?」
 カップに口をつけながらそれを黙って聞いていたミストだったが、ヴィンスターレルが言い終わると、カップをテーブルにそっと置き、ややあってから口を開く。
「……承知いたしました。では、未整理のままで宜しければ、お答え致しますね」
「よし」
(これでやっとすっきりする)
 ヴィンスターレルは安堵の溜息をついた。ミストに出会ってから、何度目の溜息になるだろう。だが、それもようやく終わりを迎えるのだ。
「……まず、ヴィンをお招きしたのは、『予見』によって得られた答えからです。『予見』は占い、と考えて頂いて大体間違いではありません。街中ではあちらの男性に『幻影術』を使わせて頂きました。白い獣――彼は『ル・パ』と呼ばれる、フローティアの一族を守護するものです。ヴィンに彼が見えたのは、恐らく、貴方がフローティアの一族、または幻影師の一族と関わりがあるからでしょう。天井が光っていることや、ドアが自動で開くことですが、それは『遺産』によるものです。この屋敷が人目につかないのは、古くから『結界』が張ってあるためです。『鎮守の森』に入られた方が迷われるのも、同じ理由からですね。ジェイムとアーシェはフローティア一族の傍系で、わたくしの身の回りの雑事や警護を担当してもらっております。こちらには、わたくしを含め三人しか住んでおりません。屋敷の維持も、二人は有能ですし、『遺産』もございますので何の問題もありません……以上ですが、いかがでしょうか?」
「……」
「ヴィン、どうかなさいました?」
 再び、優雅な仕草で茶を飲み始めたミストを黙って睨みつけながら、ヴィンスターレルは必死でミストの話を整理しようと努める。だが、それも徒労に終わった。頭の中は混乱する一方だ。
「……悪かった。お前の中で整理がついてからでいい」
「お心遣いありがとうございます。ヴィンはお優しいですね」
(こいつ、いい性格してるじゃねぇか……)
 そう考えながら、ヴィンスターレルはまた溜息をつき、長椅子に寄りかかった。


「こちらです」
 ささやかな夕餉の後、ヴィンスターレルはジェイムの先導で、階段の右脇の通路の奥へと歩みを進めた。
 結局あの後、ミストに押し切られる形で、フローティア邸に暫く滞在することになってしまったのである。ヴィンスターレルにとって、不本意ではあったが、聞きたいことにまだきちんとした答えをもらっていないこともあり、渋々承諾した。
 通路の奥には、ドアが一つあるだけだった。ジェイムがドアの前に立つと、やはりドアはひとりでに部屋の内側へと開く。このドアには取っ手がついていない。そういえば、門にも、玄関にも、他の部屋のドアにも、取っ手はついていなかった。だが、ここまで来れば、別段気にするようなことでもないので、ジェイムに促され、部屋へと入る。
 部屋の中は暗かった。ジェイムが何事かをすると、天井がほの白く光り始め、徐々に部屋の中に明るさが満ちてくる。
 部屋はとても広かった。
 しかし、正面に大きな窓、その下には木材部分に上品な細工が施され、窓に向かって横向きに設置された大きめのベッド、その脇には、これも落ち着いた雰囲気を醸し出す木製の箪笥、部屋の中央には、先ほどヴィンスターレルがミストと話をしていた場所にあったような背の低いテーブルと、革製の長椅子が一脚。絨毯も同じく地味な柄。右の壁側には、白い暖炉。あとは、どこへ続いているのか分からないが、左手に見えるドア。それだけだった。
 ヴィンスターレルからしてみれば、空間を無駄に使っているようにしか見えない。質素、といえば聞こえは良いが、ここまで来るとそれを通り越して殺風景だ。
(でも、これなら掃除の手間も省けるかもしれないな……)
 そんなことを考えながら、ヴィンスターレルが手に持っていた鎧を箪笥の側に置いていると、入り口付近でジェイムが手招きをしているのが見えた。
「何だ? 爺さん」
 ジェイムの許へとヴィンスターレルは近づく。ジェイムはドアの横にある壁を指差していた。そこには、拳大の、透明な円い突起が見える。ちょうど、水晶球が壁に埋め込まれているような感じだ。
 ジェイムは無言で、その突起に手をかざして見せた。すると、部屋の明りが突然落ち、あたりは暗闇に包まれた。ジェイムがまた動く。夜目の効くヴィンスターレルには、もう一度ジェイムが突起に手をかざす姿がはっきりと見える。すると、また部屋が明るくなった。
「成る程……これが『遺産』って奴の仕組みなんだな」
 ヴィンスターレルも、ジェイムに倣い、何度か部屋の照明をつけたり消したりしてみた。ジェイムが得意げな顔でヴィンスターレルを見ている。その姿は、玩具を自慢する子供のようで何だか微笑ましい。
「それから、ベッドの側にも同じものがあります。お休みの際はそちらをお使いください」
 言われてベッドの方を見遣ると、窓の右下、枕のあたりから手が届きそうな位置に、同じく円い突起が確認できた。
「ああ、分かった」
「それから、あちらのドアですが」
 そういって、ジェイムは部屋の中のもう一つのドアを手で示す。
「洗面所と風呂場になっております。そちらにも同じように円形の突起がありますので。風呂はそれに手をかざせば、湯が溜まります。もう一度かざせば止まります。洗面所も同じ理屈ですな。突起――私どもは『センサー』と呼んでおりますが、水が出る口がありますので、その『センサー』で調整なさって下され。厠も『センサー』がついておりますので、用を足した後は、それで洗浄してくださいますよう」
「……全く、至れり尽せり、だな」
 ヴィンスターレルは苦笑するしかなかった。
「だが暖炉……あれは見たところ普通のもののようだが」
「……ああ、『遺産』でも残っているものと、残っていないものがあるのでございますよ」
「そういうもんなのか」
 よく分からないヴィンスターレルには、とりあえず納得するしかない。
「それからこれを」
 ジェイムは懐からなにやら取り出すと、ヴィンスターレルへと手渡した。小さな水晶球が先についている、ペンダントのようなものだった。見た目は壁に埋め込まれている『センサー』というものに似ている。
「これが、こちらのドアを開ける鍵のようなものでございます。これを持っていれば、この部屋のドアが自動で開きますので」
 渡されたペンダントをよく見てみると、水晶球の脇に、番号のようなものが刻んである。恐らく、それぞれのドアに対応した『鍵』があるのだろう。ヴィンスターレルがそれをしげしげと眺めていると、ジェイムが頭を下げながら、こう言った。
「では、私はこれで。サーバ様、お休みなさいませ」
「ああ、ありがとう、爺さん」
 ジェイムが入り口のドアに近づくと、今度はドアが部屋の外側へと開き、彼が出て行くのと同時に、パタン、と軽い音を立て、閉まった。
(爺さんは執事だから、全部の部屋の『鍵』を持ってるんだろうな……だが、何でここのドアは内側にも外側にも開くんだ?)
 そんな疑問が浮かぶヴィンスターレルだったが、あえて考えるのはやめにした。いちいち不思議がっていては、この屋敷に滞在している間に疲れ果ててしまう。
(まぁ、いっか)
 一息ついた途端、急に眠気が襲ってくる。
(せっかく風呂の使い方も教えてもらったが、今日はもう寝るとしよう)
 とにかく、今日は色々なことがありすぎた。身体的よりも、精神的な疲労の方が強い気がする。
(それもこれも、ミストの奴のせいだ……)
 そう心の中で毒づきながら、ヴィンスターレルはベッドへと近づき、身体を横たえると、目を閉じた。
 ベッドは柔らかく、とても心地良い。
 ヴィンスターレルはすぐに、深い眠りへと落ちた。
 
 パチッ。パチッ。
 暖炉から、薪のはぜる音がする。

 パチッ。パチッ。
(……薪? ……違う、そうじゃない……)

 パチッ。パチッ。
 木のはぜる音。
 悲鳴。
 怒号。
 轟音。

『あつい……あついよぉ……』
『たすけて! ……たすけて!』
『ヴィン……たすけて……あつい……あつ……』
『まってろ! いまたすけてやるから!』
『はやく……ヴィン……』
『たすけて……しにたくないよぉ……』
『ちくしょう! うごかねぇ! ちくしょう!』
『君! 危ないから離れなさい!!』
『だって……みんなが! みんながしんじまう!』
『早く! 離れるんだ!』
『あんたたち、おとなだろ! なんとかしろよ! みんなしんじまうよ!』
『駄目だ、火の回りが早すぎる! さぁ早く! 君も巻き込まれるぞ!!』
『いやだ! みんなが!』
『君も死にたいのか!』
『ちくしょう! なんでだよ! なんでみんなが……!』

(――!?)
 全身にびっしょりと不快な汗をかき、ヴィンスターレルは目覚めた。
 窓からは、森の木々に遮られて柔らかくなった朝日が差し込み、鳥たちが呑気に囀っている。
(また……あの時の夢か……)
 この時期になると、頻繁に同じ夢を見る。
 ヴィンスターレルは嫌な思いを早く洗い流したくて、洗面所へと向かった。顔を洗い、風呂に入ると、ジェイムが用意しておいてくれた新しい服に着替える。そしてそのまま、部屋を出た。


 ホールには、既にミストが居た。今日は白いドレスを身につけ、長椅子の一つに座り、茶を飲んでいる。
「おはようございます、ヴィン。良く寝られましたか? ……あ、そのお召し物、とてもお似合いですよ」
 ちなみに、ジェイムが用意してくれていた新しい服、というのは、彼の服と同じ物――黒の上下の武道着のようなものだ。
「……ああ」
 ヴィンスターレルの気のない返事に、ミストは整った眉を顰める。
「お体の具合でも宜しくないのですか?」
「いや、大丈夫だ」
 尚も訝しげにはしていたが、ミストはそれ以上、訊ねてこようとはしなかった。
「朝食に致しましょう」
 彼女の声で、二人は食卓のある調理場へと向かった。

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