出会い 4
「昨日の話の続きですけれど」
朝食が終わると、ミストはヴィンスターレルにそう切り出した。
「ああ」
「場所を移動したいと思います。ついて来ていただけますか?」
ミストに連れられ、ヴィンスターレルは二階へと続く階段を昇る。それを見届けると、ジェイムとアーシェは、それぞれの仕事に戻っていった。もちろん、白い獣――『彼』はミストの脇にぴったりと付き従っている。
ミストが立ったのは、二階の中央のドアの前だった。
音もなく、扉は開く。
扉をくぐると、そこには部屋ではなく、通路があった。
通路の先には、またドアが見える。それは、他のものとは違い、豪華な装飾が施された金属製のドアだった。
後で、扉が閉まる音がする。
二人は、そのまま歩みを進めた。
「これは……」
ヴィンスターレルはその光景に、思わず息を呑んだ。
広さは先ほどまでいたホールと同じくらいだが、雰囲気はまるで違う。
壁から天井まで、白く光沢を放つ美しい石で出来た空間。
階段を降りる。
こちらも木製ではなく、壁や天井と同じ材質であろうと思われる石で出来ていた。
深紅の豪華な絨毯が、道となって先へと伸びている。
また、後で扉が閉まる。
無言のまま、二人は紅い道を、ゆっくりと進んだ。
絨毯が途切れた先は、祭壇のようになっていた。
高い天井まで、縦に走る二本の柱。
その間に挟まれるように、短い階段が続いている。
階段の上まで辿り着くと、ミストはヴィンスターレルを振り返り、微笑んだ。
「着きました」
その中央には、これも美しく輝く円形の白い石が置かれていた。ミストに目で促され、ヴィンスターレルは石に近づいてみる。高さ、直径共にヴィンスターレルの腕の長さくらいだろうか。それは器だった。中には清らかな水が湛えられている。
「水鏡……か?」
「ええ。ここは『予見の間』です。昨日お話に出ました『予見』は、ここでわたくしが行ないます」
ヴィンスターレルは、中をそっと覗いて見た。水面は静けさを保っている。ヴィンスターレルの顔が、鏡を見るように、はっきりと映し出された。
「これで、何か分かるのか?」
「『予見』は満月の日に執り行います。三月ほど前、わたくしが『予見』を行なっていた際、このような答えがありました『下弦の月現るとき、術を使役すべし。さすれば縁の者と出会う』」
「三月って……気のなげぇ話だな。じゃあ、お前は下弦の月の度に、あの怪しげな『幻影術』とやらを使ってたわけか?」
「いいえ、念のため、下弦の月の前後には、王都には出かけていましたが、術を使う機会もそうそうありませんでしたし……第一、場所の指定があるわけではありませんので……」
「『予見』というのもいい加減なもんだな……大体が、王都でない可能性もあるわけだろ? その場合はどうするつもりだったんだ?」
「ええ。そうですね。でも、わたくしは自身の勘に絶対の信頼を置いております。そしてそれは、今まで一度も外れたことがありません。わたくしは、王都であると確信しておりました」
その時、ヴィンスターレルの胸に、小さな衝撃が走った。いや、それは気の迷いだったのか。
「もし、そうだとしても、だ。あの時、術を使わなくたって俺はお前に出会っていたわけだろ?」
「術を使わなければ、果たしてヴィンは、わたくしに詰め寄ったでしょうか? 白い獣が見えるというだけで?」
「それは……」
確かにそうだった。白い獣のことは気にはなったが、あの怪しげな言葉で踊らされている男を見なければ、素通りしていたかもしれない。
「それから、ヴィンも、わたくしが術など使わなくても、あの方をあしらうくらい、簡単だったということは分かっていたはずです」
「ああ」
それもその通りだった。あの程度の男であれば、たとえ酔っていなくても、ミストなら簡単に追い払うことが出来ただろう。
ミストは、少しだけ黙り込むと、ややあってからためらいがちに口を開いた。
「……何もお聞きにならないのですね。昨日まで、あれほど沢山聞くことがある、と仰っていたのに」
「何でだろうな。いざとなると、何を聞いていいのかわかんなくなっちまった。お前らに毒されてしまったのかもな」
苦笑するヴィンスターレルに、ミストはその碧い瞳を真っ直ぐに向け、こう口にした。
「……勘」
「は?」
「ヴィン。貴方は勘が鋭い……他の感覚もそうではありませんか? 視覚や、聴覚など、感覚器官が他の人々より優れすぎている、と感じたことはありませんか? 貴方は、ご自分の勘に絶対の信頼を置いていらっしゃるのではないですか?」
今度こそ、ヴィンスターレルに衝撃が走った。気の迷いなどではなく。
「……俺は、孤児院で育った」
ミストの問いには答えず、彼は話し始める。
「赤ん坊の時に、リースの孤児院の前に捨てられてたんだ。俺は、親父のことも、お袋のことも知らない」
リースとは、アレスタンとメイドスの国境付近にある、小さな村である。
「ヴィンスターレルって名前は、院長がつけてくれた。みんなはお前が俺を呼ぶように、ヴィンって呼んだ。サーバって姓は、六つの時に、自分で勝手につけた」
ミストは、黙ってヴィンスターレルの話に耳を傾けている。
「俺が八つの時だ。その日は嫌な予感がして、どうしても眠れなかった。そんで夜中に、自分でも、訳もわからねぇまま、孤児院を飛び出した。その途端、孤児院に火がついたんだ。その頃メイドスの連中と、アレスタンが、国境付近で小競り合いを始めてたんだな。それで、メイドス軍の放った火矢が風で流されちまって、運悪く俺たちの家に飛んできちまったんだ。俺たちの家は、あっけなく全焼した。真夜中だったから、みんなが気づいた時にはもう手遅れだった。俺以外は全員逃げ損ねた。必死になって周囲の家の連中が助けようとしたんだが、火の回りが早すぎて、誰も助けられなかった。瓦礫の下敷きになった奴らが『助けてヴィン』、『熱い』、『死にたくない』って泣き叫ぶんだ。大人でも持ち上げられない重さの瓦礫だ。子供の俺には到底無理だった。この時期になると、今でもあの時の事を夢に見る」
ヴィンスターレルは、水鏡に映った自分の顔を眺めながら、溜息をつく。
「その時思った。ああ、俺って勘が良すぎるんだって。でもそれを恨んだよ。誰も助けられずに、自分だけ生き残ったって仕方がないのに、ってな。まぁ、昔の話だ……って、おい!」
ヴィンスターレルがミストを振り返ると、彼女は長い睫毛から大量の水滴を滴らせながら、子供のように泣きじゃくっていた。
「勘弁してくれよ……何でお前がそんなに泣くんだ……」
「だって……だって……」
尚も泣き続けるミストに、ヴィンスターレルは途方に暮れてしまった。とりあえず、何も持っていなかったので、借りたばかりの服の袖で、ミストの涙を拭ってやる。
「そんなこと……酷すぎます……」
「わかった……ありがとな。だからもう泣きやめってば! 俺に話を聞かせてくれるんだろ? ちっとも進まねぇだろうが!」
本当は、自分が泣きたい気分だったヴィンスターレルだったのだが、ミストのおかげで、すっかりその気が失せてしまっていた。
ミストが泣きやむのを待ってから、二人の話は再開された。
「さっきお前が『勘』や『感覚器官』のことを言ってただろ? あれは、フローティアの一族に関係することなのか?」
「……はい。ヴィンスターレル」
「ヴィンでいい。となるとあれか? やっぱジェイムやアーシェがただもんじゃねぇのも、フローティアの一族だからか?」
まだ潤んだままの碧い瞳で、ミストはヴィンスターレルを見つめながら言う。
「はい。それに、彼らは警護をするための、特殊な訓練を受けておりますので」
「成る程な」
「『勘』や『感覚器官』については、フローティアだけではないのです。『幻影師』の一族は、大抵そういう部分で抜きん出ています……といいましても、一族自体、数が非常に少なくなってしまったのですが……彼ら『ル・パ』が見えるのも、『幻影師』の一族のみです」
ミストは傍らの『彼』に目を向けながら、そう告げる。
「そもそも、その『幻影師』ってなんだ?」
ミストはしばし考え込んでから、こう答えた。
「『幻影術』を使い、相手に幻を見せる力をもつ者のことです。『幻影術』とは、相手の感情を読み取り、それに対応した暗示をかけるもの……古くは『幻影師』は、ゲイシュ、という一族のみがもつ力でした。それが時を経て、三つの一族に分かれていくのです。リメイニ、セイノール、そして――フローティア。ただ、わたくしはフローティア以外の一族に会ったことはありません」
「ということは、俺はフローティアではない可能性もあるわけか」
「はい。でも、ヴィン。わたくしの話を信じて下さるのですか?」
あまりにも真摯なミストの問いかけに、ヴィンスターレルは思わず吹き出してしまった。
「随分と今さらなこと言うよな。これだけ色々、変なこと体験させてもらえりゃ、信じる気にもなる。それに、元々俺は、どこの馬の骨かわかったもんでもないわけだしな」
その言葉に、ミストの表情が再び曇りかけるのを見て、ヴィンスターレルは慌てて手を振る。
「泣くのはナシだからな。ええと、さっき言ってた話だが、お前はどうやって相手の感情を読み取るんだ?」
「……『見える』のです」
「は?」
ためらいがちなミストの発言に、ヴィンスターレルは思わず彼女の顔を覗き込む。
「相手の感情が、色で『見える』のです。例えば、怒りの感情は赤、悲しみの感情は青、というように……王都で出会った方は、やや赤みがかった青でした」
「だから『悲しいのですね』とか言ってたわけか……ってちょっと待てよ、もしかして俺の感情も『見える』のか?」
焦りを隠せないヴィンスターレルに、ミストはゆっくりと頭を振った。
「元々『見よう』と意識を集中しないと『見えない』ものなので、何とも申し上げられませんが……恐らく『見えない』と思います。『一族』の関係者の感情は、『見えない』ことが多いですから」
その言葉にヴィンスターレルは胸を撫で下ろす。心までは読み取られないにしても、感情が分かる、というのはあまり気持ちのいい話ではない。
現在、二人は水鏡の前の階段に並んで腰を下ろしている。ヴィンスターレルは、何の気はなしに白い天井を見遣り、一呼吸置いてから、話を続ける。
「例えばあの酔っ払いだが、あいつにはどうやって『術』とやらをかけたんだ?」
ミストもつられて天井を見、ヴィンスターレルに顔を向けなおすとこう言った。
「わたくしが『悲しいのですね』と申し上げた瞬間、あの方に黒――恐怖の感情が混じりました。そこで、わたくしはすかさず、『貴方の恐怖の対象』と申し上げました。使い手にもよるかと思いますが、『恐怖』など、黒色系の感情が混じると『術』をかけやすくなるのです。『幻影』自体は『ル・パ』の『彼』が創り出します。恐らくあの方には白い靄のようなものが見えた筈です。その形は、どのような風にも受け取れるのですが……」
「混乱していたあの男には、恐怖の対象である『蛇』に見えた。それでつい『蛇』と口にしてしまったんだな」
ヴィンスターレルが言葉を引き継ぐと、ミストは頷き、話を続ける。
「そうですね。それであの方の恐怖の対象を把握したわたくしは、『蛇』と口にいたしました。今度はあの方には、本物の蛇が、何十匹も襲い掛かってくるように見えたはずです」
「それ、俺でも気持ち悪ぃぞ……」
思わず想像してしまったヴィンスターレルは、軽く身震いした。
「ってことは、『幻影術』っていうのは、ほとんどが術者の話術にかかってくるんじゃねぇのか? ――あ、だからお前は変装とか演技とか……」
「――前者は正解ですが、後者は、わたくしの趣味です」
(こいつ、よくわかんねぇ……)
あくまで『趣味』と言い通すミストに、ヴィンスターレルは呆れ返るばかりである。
「残るは、『遺産』と『結界』のお話ですね」
また一息ついてから、ミストが話し始めようとするのを、ヴィンスターレルは遮った。
「あ、ちょっといいか?」
「はい」
ミストは、少し首を傾げながらも、それに答える。
「あの、『遺産』――ドアが自動で開く仕組みと、『結界』の仕組みは同じものか?」
「ええ、良くお分かりになりましたね」
「じゃあ答えは、『旧時代』の『科学』じゃねぇか?」
「凄いですね、ヴィン」
本気で感心しているようなミストに、ヴィンスターレルは得意気な顔つきになる。
「俺、これでも本とか好きなんだよ。ガキの頃、図書館とかにも良く通ってたし。宮廷にいた頃だってそうだ。官たちには『お前みたいな低脳には似つかわしくない』なんて言われてたけどな」
「失礼な方々ですね」
眉を顰めるミストに、ヴィンスターレルはまた吹き出しそうになる。
「お前が怒んなくてもいいんだよ。ま、とにかくそんなわけで、『旧時代』についての本とかもよく読んでた。この屋敷に来て、初めは信じられなかったが、暫くして確信に変わった。これは『科学』だってな。確かに『旧時代』のものだから『遺産』と呼ばれるのも頷ける」
「では、これで、ヴィンの疑問は解決ですね」
「いや、まだだ」
「他に何かございましたか?」
「お前らが『彼』って呼んでるその白い獣、狼か? 名前とかはねぇのか?」
「ええ、一応、狼のようです。名前は……考えたこともありませんでした。わたくしたちはずっと『彼』、と呼んできましたし、名前を呼ばなくても、意思の疎通は出来ますので」
「じゃあ、俺がつけてもいいか?」
「……大丈夫のようですよ」
「んじゃ、『ケイン』だ」
「素敵なお名前ですね。わたくしも、これからそう呼ぶことに致します。ケインも喜んでいます」
ヴィンスターレルは、彼――ケインを見てみるが、別段いつもと変わった様子は窺えない。澄ました顔で遠くの方を見ているだけだ。だが、ミストがそう言う以上、きっと喜んでいるのだろう。ヴィンスターレルはそう思うことにした。
『ヴィン!このいぬっころ、なんて名前にしようか?』
『うーんと……ケイン、ケインにしようぜ!!』
『それいいな !それできまりだ!』
「わたくしからも、一つご提案があるのですけれども」
「何だ?」
微笑みながら言ったミストに、ヴィンスターレルは、何やら嫌な予感を覚えながらも、返事をする。
「ヴィンは、現在、職を失っていらっしゃいますよね?」
(誰かさんのおかげでな……)
そんなことを思いながらも、ヴィンスターレルは頷いた。
「ああ」
「それでしたら、わたくしの助手をして頂きたいのですけれども……もちろん、こちらに住んで頂いてかまいません」
「何だと!? ……だって、俺は占いなんか出来ねぇぞ!?」
「出来なくても結構です。以前わたくしが、『陛下が和平協定に急に賛成したのが引っかかる』とお話ししたのは覚えていらっしゃいますか? ヴィンがわたくしの首を、締め上げた時に」
「ああ……まぁ……」
(こいつ、根に持ってんな……)
「あのお話に、どうも裏があるような気がしてならないのです。それに、陛下の感情は、わたくしには『見え』ません」
「それって、まさか……?」
「はい。その可能性もございます。だからこそ、ヴィンのお力をお借りしたいのです」
「でも俺は……」
「職の当ても無いのでしょう?これから生活はしていけるのですか?」
「ううっ……」
こうして、『青い狼』ヴィンスターレル・サーバは、『幻影師』ミスト・フローティアの『仕事』に、無理矢理巻き込まれる羽目になったのである。