微睡みの大地

邂逅 1

「……んふっ、あはっ、あははははははっ!」
 唐突に。
 ヴィンスターレルとミストの背後から、無邪気な笑い声が聞こえた。
 二人は我に返ると、慌てて身体を後ろへと向ける。ヴィンスターレルは、ローブの下に帯びていた剣を抜くことも忘れなかった。
 その先には、二つの人影が、空中に浮かんでいた。
 ヴィンスターレルは、その何者かを素早く観察する。歳は共に十四、五歳くらいだろう。前を眉のあたりで切りそろえ、耳が隠れる程度の長さの、白銀色の髪をした色白の少年。肩までの癖のある赤毛を、頭の両脇で二つに結い上げている小麦色の肌の少女。二人とも似たようなローブを纏い、人形のように整った顔立ちをしていた。
 先ほど声を上げたのは少女の方らしい。腹を抱え、蹲るようにしてまだ笑っている。
「――貴様ら、何者だ」
 相手が空中に浮かんでいることや、少年と少女だったことに戸惑いながらも、ヴィンスターレルはいつでも攻撃態勢に入れるように剣を身構える。
「人に名前を訊ねる前に、まず自分の名前を名乗るのが礼儀だと思うよ。『青い狼』さん」
 その問いに銀髪の少年が答えた。長い睫毛に縁取られた琥珀色の瞳は、酷く冷め、ヴィンスターレルを見下ろしている。
(――何っ!?)
 これだけ手の込んだ変装をしているにもかかわらず、少年は一発でヴィンスターレルの素性を見抜いた――いや、恐らく既に知っていたのだろう。自分たちがここに来ることすらも。それ以前に、空中に浮かんでいるという時点で只者ではない。
「……まあいい。それより、国王を殺したのは貴様らか?」
 身体を冷たい汗が伝うのを感じながらも平静を装い、ヴィンスターレルは押し殺した声で訊ねた。さながら『敵』を目の前にした獰猛な獣のうなり声のように。
「そうだよ」
 答えたのは赤毛の少女だった。笑いすぎて溢れた涙を指先で拭っている。
「もういらないから、殺しちゃった」
「――何だと?」
 まるで玩具を壊してしまった子供のような言い方に、ヴィンスターレルの眉が吊り上がった。
「だからぁ、『もういらないから、殺しちゃった』って言ったの。お兄さんって言葉が通じないの? ……それにしても、お兄さんとお姉さんのあの顔! 面白かったぁ! まぁ、今はおじさんとお婆さんだけどね。んふふふふふ……」
 再び笑い声を漏らす少女を見ながら、ヴィンスターレルは沸々と怒りが込み上げてくるのを感じ、次の瞬間には堪えきれず、怒鳴っていた。
「貴様ら! 人の命を何だと思っている!」
「それを貴方が言うかなぁ、『青い狼』さん」
 激昂するヴィンスターレルに向かい、少年は眉一つ動かさず、静かに言った。
「貴方は今まで何人の人を殺してきたの? 戦争なら人を殺してもいいのかな? それとも、仕事なら仕方ないとでも?」
(――くっ)
 そう言われ、ヴィンスターレルには返す言葉もなかった。それでも、身体は攻撃に移ろうとする。
「ヴィン。無駄です」
 それを制したのは、今まで沈黙を保っていたミストが発した言葉だった。
「これは『幻影』です。彼らの本体はここには在りません」
 ヴィンスターレルは動きを止める。
「……『幻影術』って、こんな事も出来るのか……?」
「いいえ。『幻影術』ではなく、恐らく『遺産』を利用した『幻影』でしょう」
「『遺産』……?」
 ヴィンスターレルの脳裏に、フローティア邸での生活や、ここまで来る途中の出来事が、刹那、よぎる。
 ミストとヴィンスターレルは、会話を続けながらも、少年たちからは目を逸らさずにいた。
「流石に『幻影師』の一族の末裔だけはある……と言いたい所だけど、あまり褒められたものでもないね。『先見の一族』と謳われたほど、予知能力に長けていたフローティアも地に堕ちたもんだ。『予見』とかいう、ほとんど占いと大差ない力しか今は持たず、僕たちと出会うことすらも予想できなかったんだから」
 ヴィンスターレルが横目でミストの方を窺うと、彼女はかすかに唇を震わせていた。
 ――そこからは彼女の真意は、見えない。
「まあ、尤も」
 そのようなミストの状態に気づいているのかいないのか、冷ややかな瞳でミストを見据えたまま、少年は語り続ける。
「平民なんかに溶け込もうと、自ら力を封じていったんだから、自業自得だけどね。だから滅びちゃうんだよ。フローティアも、リメイニも」
(――!)

『この、化け物どもが!』

 今度はミスト自身、はっきりと自覚できるほどに、身体が小刻みに震えていた。そして射抜くほどの強い眼差しを、少年へと向ける。しかし少年は冷たい笑みさえ浮かべていた。蔑むような光を琥珀色の瞳に湛えて。
「そうそう。自己紹介がまだだったね。僕はサリュートア・セイノール。そしてこっちは妹のアストリアーデ・セイノール」
 少年――サリュートアの紹介に合わせ、アストリアーデは場違いなほどの可愛らしいお辞儀をしてみせる。猫のように大きな目を好奇の色に輝かせ、ヴィンスターレルとミストに詰め寄るように訊ねた。
「ねぇねぇ、お兄さんとお姉さんって恋人同士? なかなかお似合いじゃない?」
「――アストリアーデ」
「ちぇっ。サリュートアのケチ。いいじゃん、ちょっとぐらい」
 サリュートアが冷ややかに名前を呼ぶと、アストリアーデは口を尖らせてそれきり黙りこんだ。
(セイノール……)
 ヴィンスターレルはミストの話を思い出していた。三つに分かれた『幻影師』の一族の、その一つの名。ミストの方を見遣ると、身体の震えは収まっていたものの、相変わらず視線は二人のセイノールに向けられたままだった。
「僕たちはメイドスにいる」
「何故、メイドスなんかに……」
 そう言葉を漏らすヴィンスターレルには視線を向けず、サリュートアはミストに向けて、言葉を続けた。
「だから、僕たちに会いたければメイドスにおいで。そうしたら、ゆっくり話が出来るかもしれないよ……でもその前に、少しゲームをしよう」
「ゲームだと?」
 問い返すヴィンスターレルに、サリュートアは今度は顔を向け、静かに答えた。
「そう、簡単なゲームだよ。国王は殺された。ここには貴方たち二人しか居ない……国王殺しなんて、大罪だね」
「――なっ」
 思わず小さく声を上げるヴィンスターレルに構わず、サリュートアは言葉を続ける。
「頑張って切り抜けて来てね。まさか捕まって死罪になるなんて、がっかりさせるような真似はしないで欲しいな」
「いいこと教えてあげる。国王は『幻影術』で殺したの。面白かったよぉ! すっごいブサイクな顔で死んでいくんだもん。あたしもぉ、おかしくておかしくて……まあ、頭のかた〜いお役人さんは信じてくれないと思うけど。もし死ぬんだったら、二人とも気をつけてね。せっかくの美男美女が台無しだから……特に、カッコいいお兄さん」
 そう言ってヴィンスターレルに片目をつぶって見せると、アストリアーデは、また笑い始める。そして、サリュートアはミストとヴィンスターレルを交互に見、こう告げた。
「じゃあね」
「おい! ちょっと待――」
 ヴィンスターレルの上げた声も虚しく。
 二人の姿は既に掻き消えていた。
 そして。
 それと同時に遠くから聞こえて来る、慌しい複数の靴音。
 ヴィンスターレルはミストの表情をそっと窺う。
 彼女は、それにも気づかなかった。ミストの頭を占めていたのは、ただ一つの思考。
(あの子たちは、あの事件の真相を知っている――)
 その間にも、足音は徐々に近づいて来ていた。
「ミスト!」
 ヴィンスターレルの声で、ミストは我に返り、慌てて顔を上げた。
「……申し訳ありません」
「お前、大丈夫か?」
「はい。申し訳ありません」
 ミストは再度詫びた。だが。
「あまり、時間はございませんね……」
「ああ」
 近づく足音は、今はまだ、充分に遠い。常人であれば聞き取ることさえ出来なかっただろう。並外れた感覚能力の持ち主である二人だからこそ、はっきりと認識できたのだ。
「とりあえず、『カーゴ』とやらのとこまで行くぞ!」
 そう言うと、ヴィンスターレルは開け放たれたままの寝室のドアを抜け、なるべく足音を響かせないように駆ける。ミストも後に続く。
「ですけれど……」
「ああ、わかってる。だが、一応は当たってみるしかねぇだろ?」
「そうですね」
 巨大な部屋をいくつか抜け、二人はその一端へと向かう。
 目的の場所へ辿り着くと、ミストは屈み込み、床へと水晶球をかざした。
 だが、何の反応もない。
「……やはり、駄目です」
「これも、『幻影術』か?」
「いいえ。その気配はございません。先ほど、あの子たちがフローティアについて言っていたことを覚えていらっしゃいますか?」
 既に余裕を取り戻したのか、この状況下でもミストの声には落ち着きがあった。その碧の瞳をヴィンスターレルへと向ける。
「……ああと、『自ら力を封じていった』ってやつか?」
 こちらも百戦錬磨の『青い狼』である。まだ近づく足音が割りと遠くにあることを差し引いても、表情に焦りは見えなかった。
「いいえ、その前です」
「『予知能力に長けていた』……?」
「そうです。フローティアが予知能力に長けていたように、セイノールは『技術』に秀でています。恐らく、わたくしたちがこちらに来る前に、何らかの細工をされていたのでしょう。元々『遺産』自体がゲイシュの……と、あまり長いお話をしている場合ではございませんね」
「そうだな……それに、あいつらの言い草からして、ここを使わせてくれる程、親切なわけはねぇよな」
「ええ」
「どうする? 流石に捕まってから逃げる、ってのも骨が折れるしな……窓から出るにしても、飛び降りるには高すぎる。足場もない」
 ここは国王の私室だけあって、城の中心部に聳え立つ塔の最上階に位置している。そして、その塔を囲んでいる他の区域までは、相当な高さがある。勿論それは、暗殺者などを阻む目的にも大いに役立っていた。
「わたくしに考えがあります」
 ミストはヴィンスターレルに向かい、悪戯っぽく笑って見せる。その顔が不気味な老婆でさえなければ、大変に魅力的に映っただろうが、ヴィンスターレルはただ、悪寒を覚えただけだった。


(こんなんで本当に上手く行くのか……?)
 床に腹這いになりながら、ヴィンスターレルは一抹の不安に駆られる。
 その後、ヴィンスターレルとミストは王の寝室へと戻り、豪華なベッドの下へと身を潜めていた。ベッド自体がかなりの大きさなので、下の隙間も広くはあったが、隙間は隙間。大男のヴィンスターレルにとっては狭いことこの上ない。さらにミストと二人で、となると、身動きもままならなかった。だが、ここなら、ベッドに掛けられたシーツも二人の姿を覆い隠してくれる。
 ヴィンスターレルとしては、この部屋に来た衛兵を一気に気絶させる、という方法が一番手っ取り早いような気もしたし、その自信もあったのだが、流石にそれでは脱出するのがさらに困難になってしまう。方法もない上に、騒ぎになると面倒だ。時間が経てば経つほど、こちらとしては不利になる。そう考えてミストの提案に乗ったのだが――
 正直、不安要素が多すぎた。何よりヴィンスターレルにとって、自分が動かない、という状況は好ましくない。いや、実際に今の状態では文字通り動けない。もしも戦闘になった場合、かなり厄介である。
 そのような思いを巡らせながら、隣りで同じように腹這いになっているミストの表情を窺う。彼女は、瞑想でもしているかのように目を閉じ、呼吸を整えていた。
 その時。
 近づいてきた足音が止まった。
 ドアがノックされる。
「陛下! お呼びでしょうか! ダーゼン・バリュース、参りました!」
 続く大きなだみ声。
(ダーゼン……)
 その名前と声を耳にし、ヴィンスターレルの内に苦いものが走った。ダーゼン・バリュース。三大臣のひとり。専ら宮廷内を取り仕切る立場にあり、秩序、作法、伝統を重んじる。ヴィンスターレルを最も毛嫌いしていた集団の筆頭であり、また、ヴィンスターレルの側も同じ。お互いにことごとく反りが合わなかった。
 何かにつけてはヴィンスターレルの揚げ足をとり、宮廷内から追い出そうと必死だった。勿論、ダーゼンの部下たちもそうだ。今回の軍事縮小で色々と根回しをし、ようやく念願叶い、ヴィンスターレルの職を奪ったのもこの男である。

『もう『青い狼』の勇姿を見られないとは……私としてはとても遺憾に思うよ、ヴィンスターレル・サーバ』

 声を聞くのすら不快な相手だったが、仕方がない。立場上、王に呼び出しを受けるのが一番自然なのはダーゼンなのだ。
 ヴィンスターレルは再びミストの横顔に目を向ける。
 彼女は目を閉じたまま、動かない。

 ミストは声のした方に神経を集中させていた。
 感情を『見る』為である。
 これは視覚的なものではない。『感じる』と表現した方が近いかもしれない。
 『見える』のは、赤と黒――『不安』と『緊張』あたりだろうか――それが四つ。白に緑――『怠惰』に近い――が一つ。
 後者はダーゼンのものかもしれない。
「陛下! 入らせて頂いて宜しいでしょうか?」
 返答は、勿論ない。
 黒と赤の色が濃くなる。残りの一名にも黒が混じリ始める。
 鍵束を取り出す金属音。
 『人払い』の際には、王は私室に誰一人として置かない。私室を警備する者や、身の回りの世話をさせている従者でさえ追いやる。その時には、王自らの手によって鍵が掛けられ、再び誰かを呼ぶ際には、王が鍵を開け、招き入れるか、外側から誰かが鍵を開ける。それが連綿と続いてきた慣習。現在、王の私室の鍵を管理しているのはダーゼンだった。
 鍵が回る音。
 開かれる、扉。
 複数――五名の足音が、部屋へと入ってくる。
「陛下、失礼致します」
 部屋の中に入った為か、ダーゼンの声がやや抑え目になった。
 足音が、近づいてくる。
 暫しの間を置き、ダーゼンたちは寝室の前へと辿り着いていた。そこで開け放たれた扉を目にする。
 色は黒と赤だけになった。
(まだ……もう少し……)
 複数の相手に『幻影』を『見せる』には、それなりの労力を要する。だが、機会を上手く突けば、相乗効果も高い。
「陛下、失礼致します」
 ダーゼンは再び同じ言葉を口にする。
 そして一行は、寝室の中へと辿り着いた。
「……バ、バリュース閣下、へ、陛下が!」
「――へ、陛下!」
 声が交錯する。
 黒の比率が一気に高まった。
「う、うろたえるでない! と、とにかく――」
(――今!)
「騒々しいぞ、バリュース」
 ミストは、目を開くと同時に、言葉を発した。

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