邂逅 2
ヴィンスターレルは、事の成り行きを静かに見守るしかなかった。
(しかし、すげぇ……)
ミストが突然目を開いたかと思ったら、男のものとしか聞こえない声で話しだしたのだ。声音を変えるのが得意だと聞いてはいたが、まさかここまでのものとは。
「……へ、陛下! ご無事だったのですか!?」
ダーゼンの声は明らかに震えていた。
ミストは続けて言葉を紡ぐ。
「無事とはどういうことだ? いきなり大声を出しおって。それとも私が無事だと困ることでもあるのか? バリュース」
「そ、そんな! 滅相もございません!」
慌てて取り繕うダーゼン。
(――かかった)
今や、ダーゼンたちの目には、ベッドに起き上がっているアレスタン十四世の姿がありありと映し出されていることだろう。
「……申し訳ありませんでした。どうもこの者が見間違いをしたようでして」
ダーゼンはやや余裕を取り戻したのか、声の雰囲気は大仰なものに変わっている。
(……ったく、他人のせいかよ……つくづく汚ねぇ男だ……)
ヴィンスターレルは胸の内で毒づく。
「ほう? 見間違いとな?」
「も、申し訳ありませんでした!」
「……まあよい。それよりバリュース。お前を呼んだのは、ロープを用意して欲しいからだ」
震える声で謝罪する衛兵の言葉を流し、ミストは本題に入った。
「ロープ……でございますか? 一体何にお使いに……」
「いちいちお前に説明しないとならぬのか?」
「い、いえ! 余計なことを申し上げました! ロープでございますね、仰せのままに……して、どの程度のものを……」
「長くて丈夫なものほど良い。出来るだけの数を集めよ――今すぐにだ」
「畏まりました。では宮中の者をすぐにでも動員致しまして……」
「いや、お前たち五人だけで集めろ」
「五人だけ……それに私も……でしょうか?」
「不服か?」
「と、とんでもございません! 直ちに集めて参ります! お前たち、倉庫の中にロープが沢山あったはずだ、すぐに取り掛かるぞ!」
そうしてダーゼンたちは、慌てて国王の私室から出て行った。
「……何とか切り抜けたな」
未だベッドの下に腹這いになったまま、ヴィンスターレルは息を吐いた。
「ええ、今の所は……でも、これからですね」
こちらも息を吐きながら、ミストが答える。
「ああ。五人だけだったのは……やっぱり『術』の関係か?」
「ええ。人数が増えてしまいますと、またかけ直さなければならなくなりますので。それに……」
「……騒ぎも大きくなる、か」
「はい」
ミストの言葉を引き継いだヴィンスターレルに、彼女は目だけで頷く。
(それにしても、ダーゼンの奴のあの態度……)
ひとりで忍び笑いを漏らすヴィンスターレルに、ミストは不思議そうな目を向けていた。
「どうかされました?」
「……いや、すまん。何でもない。それよりお前の声、すげぇよな……一体どんな喉してんだ? そういやあれも『術』に必要なのか?」
「いいえ。声音を変えなくても『術』はかかります。あれは雰囲気作りといいますか、わたくしの趣味ですね」
「……」
ここまで来ると、口を閉ざすしかないヴィンスターレルである。
ややあって、ダーゼン一行はそれぞれの手に大量のロープを抱え、戻って来た。
「陛下、お待たせ致しました」
「バリュース、良くやった。流石にお前は頼りになるな」
ミストは王の『演技』を再開した。
「恐れ入ります」
本気で喜んでいるようなダーゼンの言葉に、ヴィンスターレルは笑いを堪えるのに必死だった。これも先ほどのミストとの会話で、何となく緊張感が抜け落ちたせいかもしれない。
「では、ご苦労だった。ロープをそこに置け。皆下がって良い。それから、朝までは人払いを続ける。誰も部屋に近寄るな」
「は、はぁ……」
あまりといえば、あまりの展開に、間の抜けた声を上げるダーゼンだったが、何とか自分をとり戻すと、言葉を搾り出す。
「で、では仰せのままに。お休みなさいませ、陛下」
「いてて……ああ狭かった……」
ダーゼンたちが出て行ったのを確認すると、ミストとヴィンスターレルはベッドの下から這い出した。ミストが部屋の入り口の鍵を閉めに行っている間に、ヴィンスターレルは大きく伸びをし、身体を回す。ずっと無理な体勢でいたため、身体の節々が痛い。
「終わりましたよ」
ミストが戻ってくると、二人は積み上げられたロープの選別作業にかかった。どれも丈夫で長いロープだが、この塔から降りるには短すぎた。
「いくつか繋げるしかねぇな……ミスト、俺がロープを結んどくから、どの窓から一番降りやすいか調べてくんねぇか? ……ああ、西側は多分駄目だ。正門側だからな。逃げるには不向きだと思う……まぁ、でも念の為、全部見てくれ」
ヴィンスターレルは王宮の中で働き、警備の管理もしたことがあるので、建物の構造や、兵士の配置にも詳しい。だが、兵士の配置に関しては、彼が追放された後、どうなったのかまでは知らない。
「分かりました」
そして二人はそれぞれの作業に取り掛かる。ミストもヴィンスターレルと同様、夜目が利くので、少し覗いては次の窓へと移って行く。
「そうですね……南側が一番宜しいかと……それにしても、警備の数が全体的に少ない気もするのですが……」
「こっちも終わったぞ。警備の数が少ねぇのは、多分、メイドスと協定結んだから、手ぇ抜いてやがるんだな。まあこっちとしては助かるが」
「ええ」
「じゃあ、行くとするか!」
そう言うと、ロープの束を持ち、ヴィンスターレルは立ち上がった。
まず、南側にある部屋の窓の脇にあった、巨大な金属製の騎士像にロープの端を括り付ける。固く結んでから、ヴィンスターレルは強度を確かめた。
「……よし、これで大丈夫だろう。俺が先に降りるから、お前は後から来い」
「――え? でも、あの……」
ヴィンスターレルの言葉に、ミストは目を伏せて口ごもる。
「ん? どうした?」
「それはその、乙女の事情といいますか……」
「……?」
ミストが後に降りるということは、当然ヴィンスターレルからは見上げる形になる。
ヴィンスターレルは、それに気づくと赤面し、慌てて手を振った。
「……いや、上は見ないようにするから大丈夫だ! ――って、お前、ローブの下、ズボンじゃねぇかよ!」
「うふふ」
「『うふふ』じゃねぇ! ……ったく、こんな時に遊んでる場合か! 大体、ババァの面で、気色悪ぃ!」
「それは、差別というものですよ」
そう言ってニヤニヤ笑うミストに、ヴィンスターレルはさっさと背中を向け、ロープを伝い始める。
「ほら、行くぞ!」
「はい」
城は、塔を含め、大まかに見ると、三重の構造になっている。そのため、ヴィンスターレルは繋いだロープを合わせて三本作っていた。これだけの高さになると、流石に風が強い。二人は流されないように気をつけながら、塔を伝って降りていく。日が当たる頃であれば、下を見ると眩暈を起こしそうになったかもしれない。ただ、今は眼下に小さく、照明のためのかがり火が揺れているのが見えるだけだ。二人を闇が覆い隠してくれていた。
暫しの後。
(まずは、一段目、だな……)
ようやく下に降り立ったヴィンスターレルが息をつく間もなく、巡回中の警備兵と出くわしてしまった。
(――やべっ)
「――!? きさ――ぐふっ」
ヴィンスターレルは素早く動き、警備兵の鳩尾に拳を入れる。警備兵は声をあげる間も与えられず、その場に崩れ落ちた。
「……ふぅ」
今度こそ溜息をつくヴィンスターレル。後から降りて来てそれを見たミストは、音は出さずに拍手の仕草をしている。
「次、行くぞ」
ヴィンスターレルは、今度は手近な柱にロープの端を繋ぐ。
二人は素早く次の段へと伝い降りる。
だが今度も、運悪く警備兵と鉢合わせしてしまった。
その数、二人。
勿論、二人程度の兵士などヴィンスターレルの敵ではないが――
一人に拳を叩きつけ、昏倒させている間に、もう一人の兵士が声を上げた。
「侵入者だ! ――がはっ」
後から降りてきたミストが、慌てて兵士の延髄に蹴りを入れ黙らせるが、既に遅かった。声を聞きつけた警備兵たちが、次々と集まってくる。
二人の前には、何人来ようが同じだった。兵士たちは武器を手にしているが、こちらは剣を抜くまでも無い。だが、次々と兵士たちは目の前に現れ、その数を増やしている。これではきりが無い。
(こいつらは敵じゃねぇが……このまま長期戦に持ち込まれて、大物が出てくると厄介だ……)
アレスタンには、有能な戦士は幾らでもいる。その中にはヴィンスターレルが剣を教えた、かつての部下たちもいるかもしれない。
「ドーマ!」
その時、ミストが『ジェルダ』の声で、ヴィンスターレルを呼んだ。恐らくこちらの正体を明かさないためだろう。ヴィンスターレルは声音を変える事は出来ないので、返事はしなかった。その間も、二人とも攻撃の手は緩めない。気を失った兵士たちは、地面に累々と積み重なって行く。
「出来うる限り暴れるんじゃ!」
ヴィンスターレルは、『了解』と言う代わりに、また一人の兵士を倒す。
兵士たちは明らかに動揺していた。
武器を持っている自分たち、しかも城の兵士をやっているというのに、これだけの数を揃えて、たった二人の、それも素手の中年の男と老婆に全く歯が立たないのだ。時々果敢にも立ち向かう者がいたが、大半は殆ど遠巻きにして見ているだけだった。
得体の知れない恐怖。
すなわち、感情の色は――圧倒的に、黒。
「見えないのかぇ? お前たち!」
ミストが大仰な声を上げる。
「目の前の凶暴な男も、このあたしも、一人ではなかろう? お前たちの数の倍はいるぞぇ!」
その途端。
辺りが恐慌状態に陥った。
「上の階も見てみぃ! あの何十人もの姿を!」
平常心を保て、という方が無理な話だろう。目の前で、たった二人だった者が、それも全く同じ顔をした人間が、一気に何十人もの数に膨れ上がったのだ。少なくとも、兵士たちには、そう見えていた。
腰を抜かす者、気を失う者、叫びながら剣を滅茶苦茶に振るう者、とにかく逃げ惑う者――
恐慌は恐慌を呼び、恐怖が恐怖を呼び、そして伝染して行く。現場は既に収拾がつかないような事態になっていた。
それに乗じて、ヴィンスターレルはロープを何とか柱に結ぶと、ミストへと目配せし、それを伝って降りて行く。それを見咎められる者などその場には存在しなかった。
だが。
ヴィンスターレルたちの掴まっているロープが突然切れた。恐らく、滅茶苦茶に振り回していた兵士の剣が、偶然ロープを切断したのだろう。
そのまま力を失い、ミストとヴィンスターレルは下へと落ちていく。
しかし、もう既に半分以上降りた後だったので、二人は何とか着地に成功した。衝撃で痺れる足を堪えながら、そのまま小走りで城を離れる。
遠ざかって行く城を肩越しに見遣ると、ちょうどヴィンスターレルの思うところの『大物』あたりが出て来ているようだったが、彼らは事態の収拾に追われ、こちらに目を向ける余裕を持つ者はいなかった。
「……ふぅ。とりあえずは何とかなったな……結局騒ぎは大きくなっちまったけど」
「ええ、そうですね……」
マイラの中央公園。
ここには緑が多く植えられ、隠れるには絶好の場所だった。ミストとヴィンスターレルは木立の影に身を潜めている。
「だが、これからどうするか……」
事態が落ち着き、事情が分かるまでは、まだ暫く時間はかかるだろう。だが、それも時間の問題に過ぎない。二人の運動能力は、常人を凌駕している。しかし、それは人間相手での話だ。流石に馬に追いつかれないほど優れているわけではなく、次第に捜索の手は伸びる。王都の出入り口である門にも伝令が行く事だろう。
「姿を変えましょう」
ミストがそう口にする。
「変えるって……そんな簡単にできんのか? 大体、道具だって……」
ヴィンスターレルの言葉を遮るように、ミストが無言で自らのローブの前を、はだけて見せる。
その下にあったミストの服には、幾つものポケット。腰には帯状のバッグが巻きついている。
「お前、いつもそんなの持ち歩いてんのか?」
「あら、乙女の嗜みですよ」
呆れ顔で言うヴィンスターレルに、ミストはしれっと答える。城外脱出の際に、実際ヴィンスターレルは上を見なかったわけだが、『乙女の事情』とやらも、あながち嘘ではなかったらしい。
「普通の乙女はそこまで持ち歩かないと思うぞ」
「『普通』の基準をどこに置くかにもよりますね」
そう言ってミストは、にっこりと微笑んだ。
日は昇り、今日も眩しい青空と、早朝に独特の爽やかな空気が広がる。
ミストとヴィンスターレルは北門を目指して歩いていた。
ヴィンスターレルは髪を金色に染め、頬に傷をつけた三十代前半に見えるような姿。ミストは長い黒髪を編み、顔にそばかすが浮いた、地味な雰囲気が漂う、こちらも三十代前後に見える姿に『変装』し直していた。
ちなみに服装はローブのままだ。だが、ヴィンスターレルのものは翠色から黒へ、ミストは紫色から茶色へと変わっている。今まで着ていたローブを裏返したらそうなったのである。ヴィンスターレルがミストの周到さに恐れ入ったのはいうまでもあるまい。
通行証も偽造した物を持っていた。元々『ドーマ』と『ジェルダ』として王都に向かう時、通行証の事をミストに訊ねたところ、『用意してある』と言われたのでそれほど驚きはしなかったものの、結局は使わなかった――いや、用意していたかどうかもヴィンスターレルには疑わしく思えたが――今回の通行証は、ヴィンスターレルのものは『レオン』、ミストのものは『サーシャ』になっていた。
一体ミストが幾つの通行証を持っているのか、ヴィンスターレルには興味のあるところだったが、何だか聞くのが怖くなり、結局その興味は脇へと押し遣られる。
通行証は一応、身分証のようなものも兼ねている。だが、他国からの行商人や旅人、芸人なども出入りをするため、アレスタンに定住している住民の持っている住民証に比べ、規制は格段に緩い。それでも出入りの確認は一応されるのだが、余程のことがない限り、調べ上げられることはない。
今回はその『余程のこと』であるわけだが、調査に時間はかかる上、そもそも門から入って来てはいないのだから、二人に辿り着くのは不可能だろう。さらにいえば、手がかりはミストが叫んだ『ドーマ』という言葉だけである。しかもあの状況で、その名を聞き届けた者が果たしていたかどうか。
北門を難なく抜け、街道を歩いていく。
暫く無言だった二人だが、ヴィンスターレルが口を開いた。
「なぁ、ミス……ト」
「何でしょう?」
いつぞやのようにまた殴られるのではないかと一瞬身構えたが、今回はそのようなことはなかった。それに安堵しながらヴィンスターレルは言葉を続ける。
「ひとつ気になってることがあるんだがなぁ」
「……は、はい」
どことなく歯切れの悪いミスト。
「城でお前、俺のこと、『目の前の凶暴な男』とか言ったよなぁ?」
「……さぁ、どうでしたでしょうか? ……見てください、ヴィン。鳥が飛んでいます。可愛いですね」
「話を逸らすな。他にもっと言い方があったんじゃねぇのか? ああ?」
「……ほら、それはあの、お名前をお出しすることは出来なかった訳ですし、お名前を申し上げても分からない訳ですし、『術』がかけやすかったという都合でして……」
「お前、俺が『術』のこと、何も知らねぇと思って誤魔化してるだろう? 『目の前の男』で充分だったんじゃねぇかなぁ、なんて素人ながら思うんだけどなぁ……『凶暴な男』ねぇ……ミストからは俺はそんな風に見えてんだ……ふぅん……」
「……い、いえ決してそのようなことは……ああ申し上げた方が、印象が強いといいますか、言葉の綾といいますか……」
「つまり、本音が出たと?」
「……ですから……その……」
こうして、『鎮守の森』への道のりは、穏やかに進んで行く。
「ねぇサリュートア! あのお兄さんとお姉さん、切り抜けたみたいだよ! 城の外に出たあとのことは、この『モニタ』じゃわかんないけど……結構戦いっぷりもカッコよかったね! どうせなら、あんな生ぬる〜い方法じゃなくて、兵士も全部殺しちゃえばもっとカッコよかったのにね! あはははっ!」
「まぁ、あの程度のゲームで潰れるなら、面白くも何ともないよ。城から出たんなら、大丈夫なんじゃない? 片方はどっちでもいいけど、もう片方には潰れてもらったら面倒だけどね。回収がややこしくなるから。でもそのくらいの刺激はないとつまらないからね」
「お喋りも面白いね! ゼッタイあの二人、デキてると思わない?」
「僕はそんなのどっちでもいいけど」
「サリュートアって相変わらず面白くないね」
メイドス共和国のとある建造物の一室。
壁一面に、硝子で出来たような薄い板が何十枚も貼り付けられている。
それぞれが、違う場所を映し出していた。その三分の一程には、アレスタンの城の内部、外壁などが映っている。
「これから少しは楽しめるといいね」
「ゼッタイ面白いって! いいなぁ。あのお兄さんカッコいいなぁ。あたしがもらっちゃおっかなぁ」
「アストリアーデって本当、俗物だね」
「サリュートアが冷めてるだけだって」
そこには二つの小さな影。
傍らには、漆黒の豹と深紅の豹。
美しくも巨大な獣が一頭ずつ寄り添っていた。