間奏 〜追憶〜
時は宵の口。
ヴィンスターレルは、ホールの長椅子に座り、本を読んでいた。
この館の二階にある、一番左の部屋は、図書室になっている。そこには自由に出入りして良いということだったし、ヴィンスターレルの持つ『鍵』でも扉は開いたので、彼は暇を見つけては、本を借り、読書を楽しんでいた。
まあ、彼は客人扱いである上、ジェイムを相手とした、または元々の日課である自己鍛錬と、あてがわれた私室を掃除する――これも当初はジェイムかアーシェが担当する予定だったのだが、ヴィンスターレルがそれを固辞した――以外の時間は大抵暇ではあったのだが。
フローティア邸の図書室は、宮廷図書館にも置かれていないような物珍しい本がずらりと並び、ヴィンスターレルは、興味を惹かれる物を見つけては片っ端から読んでいった。それでもまだ、有り余るくらいの本がある。元々本好きな彼には有り難い環境だった。それに、ここには宮廷内のように、本を読む彼を揶揄する者は誰も居ない。
ちなみに図書室はジェイムが管理しているらしく、ミストの私室とは比べ物にならないくらいに整頓されていた。古い本も多かったが、保存状態も良く、部屋には塵一つ落ちていない状態だ。
今宵は満月。
ミストは『予見』を執り行う為、まだ日の高いうちから『予見の間』に篭りきりになっていた。
「サーバさま。お茶をお持ち致しましょうか?」
アーシェの無機質な声がかかる。ヴィンスターレルは本に向けていた顔を上げ、彼女の方へと向けた。
「うーん……今はいいや。ありがとな」
「畏まりました」
やはりその声にも顔にも、表情は窺えない。
ヴィンスターレルはアーシェをじっと見た。
「……何か?」
アーシェは眉一つ動かさず言う。
「いや、悪ぃ……余計なことかもしんねぇけど……お前、笑ったりとかしねぇのか?」
「笑う……ですか?」
「ああ、何か、お前の笑う顔って見たことねぇから」
アーシェは暫し考えるような素振りを見せると、静かに口を開いた。
「わたしは笑う必要性を感じません。そもそも、『笑う』という事柄が理解できません」
「……え?」
アーシェの言葉に、呆然とするヴィンスターレル。
「理解できないって……ええと、例えばこんな感じとか……」
戸惑いを隠せないまま、ヴィンスターレルはアーシェに向かって笑顔を形作って見せる。
「……こう、でしょうか?」
アーシェもそれに倣い、顔の筋肉を引きつらせてみるが、それは『笑顔』と呼ぶには程遠い物だった。正直にいえば、怖い。
「……あ、ああ……そ、そんな感じかな……」
ヴィンスターレルは冷や汗をかきながら、何とかそれだけを言った。
「ありがとうございます。ひとつ勉強になりました。では、わたしはまだ業務がありますので、何かありましたら、お呼び下さいませ」
そう言うとアーシェは、今覚えたばかりの『笑顔』を再び見せると、ヴィンスターレルに頭を下げ、調理場の方へと消えた。
(余計な事教えちまったかも……)
きっと真面目なアーシェの事だ。これからもあの『笑顔』をヴィンスターレルに振りまいてくれるだろう。それを思うと、彼は少し――いや、かなり後悔した。
(それにしても、変わった奴だよなぁ……)
ヴィンスターレルがそのような思いを巡らせていると、玄関が開く音が微かにした。どうやらジェイムが入って来たようだ。
「サーバ様、読書で御座いますか」
「ああ」
こちらは満面の笑みだ。先ほどのアーシェの『笑顔』を見てしまったせいか、ヴィンスターレルは余計にほっとするものを感じた。
「……なあ爺さん」
「はい、何で御座いましょう?」
「ミストの奴、昼間っからあの部屋に閉じ篭ってるが……いつもこうなのか?」
ジェイムは少し黙ると、ややあって口を開いた。
「そうですね……普段はこの位の時間からお入りになられるのですが……何か考え事をなさる時も、良く『予見の間』には行かれます」
「考え事、か……」
城での事件から今日で三日目。
あれからというもの、ミストは物思いに耽っている事が多くなった。ヴィンスターレルが声をかけても、上の空であることも多い。
だが、次の瞬間には、いつもの微笑みを浮かべてはいるのだが。
「こないだ、セイノールの連中に会った」
「ええ、存じております。お嬢様からお聞きしました」
ミストの様子から、また、部外者である自分の立ち入る領域ではないような気がして、ヴィンスターレルは今までそのことには一切触れないでいた。だが、やはり気にはなる。
「あの時俺たちは、『エシャルリアーデ・ラサイン』として王宮に招かれた訳だよな? ここも危なくないか? 幾ら何でも、火でも放たれたらやばいだろ?」
ヴィンスターレルは何となく気まずいものを感じ、話の矛先を変えてみる。
「それは恐らく大丈夫でしょう。この『鎮守の森』は神聖な森として崇められております。そうそう火など放てるものではありませぬ。それに、この森に『エシャルリアーデ・ラサイン』が住まうというのは、あくまでも噂の域を出ておりません……さらに『結界』もありますし、常人には入れぬ場所。そして、例え火を放たれたとしても、直ぐに鎮火されるような仕掛けが御座います」
「それも、『遺産』か……」
「はい」
「そもそもが、『遺産』って何なんだ?……いや、『旧時代』の『科学』ってことは分かるんだが……ミストは城で《元々『遺産』自体がゲイシュの》って言っていた。『ゲイシュ』って確か、三つに分かれる前の、『幻影師』の一族の名だったよな?」
ヴィンスターレルが再び湧き上がる疑問を口にすると、ジェイムはやや躊躇うようにしてから、こう答える。
「はい、そうなのですが……『遺産』については、私も詳しくは存じておらんのです。私はフローティアの傍系。『遺産』の事も、この屋敷を維持するもの以外の知識は備えておりません。事実は直系のお方――つまり、お嬢様しか御存じありません。ただ、その力を『封印』し続けてきた今、果たしてお嬢様もどれだけのことを知っていらっしゃるのか……」
「力の『封印』……確かセイノールの奴らも、同じようなことを言ってたな……」
暫し訪れる沈黙の時。
先に口を開いたのはジェイムだった。
「……サーバ様、宜しければ、御酒でもお付き合い頂けませぬか?」
「ん? ……ああ、それは有り難い」
「では、暫しお待ちを」
そう言うとジェイムは、ヴィンスターレルに一礼すると、背中を向け、調理場の奥へと向かった。
「では、どうぞ」
玄関側から見て、ホールの左手にある扉。
そこはジェイムの私室になっていた。
彼は左手に、酒のボトルと、氷の入ったグラスが載った盆を下から支えるように持ち、右手で水晶球をかざす。
ドアは音もなく内側へと開いた。
ジェイムに促され、ヴィンスターレルは先に中へと足を踏み入れる。
部屋のつくりや広さは、ヴィンスターレルの私室と同じ様だった。
違っていたのは、洗面所へ続く扉だと思われるものが向かって右側に、白い暖炉が左側にあったことくらいだろうか。
その時、ヴィンスターレルの視線を何かが捉える。
暖炉の上。
そこには金色の額で囲まれた、絵が掛けられていた。
「……ミスト?」
その絵は肖像画だった。椅子に座った三人の人間が描かれている。
「……ああ、その方は先代のフローティア当主――つまりお嬢様のお母上のレスミル様です。お嬢様にそっくりで御座いましょう?」
後から入ってきたジェイムが、ヴィンスターレルの呟きを聞き、それに答える。
――整った眉。真っ直ぐ通った鼻筋と、小さな唇。そしてその、碧の瞳。
違うことといえば、金色の髪が肩まで届かない程の長さしかないことくらいだろう。それを除けば、その顔は、まさにミストに瓜二つだった。
隣りには、その女性の肩を抱くように腕を伸ばした男性が描かれている。
薄い茶色の長髪。鳶色の瞳。色白で線が細い。美男子とまでは行かないが、穏やかで愛嬌のある顔つきをしていた。
そして、その二人に囲まれるようにしている、満面に笑みを浮かべた、金髪で碧い瞳の少女。
「お隣りは、旦那様――お嬢様のお父上の、ネイド様。そして、中央におられるのがお嬢様です。ささ、サーバ様。お座り下さい」
「あ、ああ……」
ジェイムに勧められ、部屋の中央にある長椅子に腰を下ろすヴィンスターレル。その間も彼は何故か、肖像画から目を離せなかった。
太陽を思わせるように朗らかな、満面の笑みの少女。
ヴィンスターレルが今まで一度も見たことのない、ミストの表情。
そして、過去のミスト。
ジェイムは一言、ヴィンスターレルに断りを入れてから、隣りへと座る。
長椅子は一脚しかなかったが、幅が広いので窮屈ということはない。また、その緩やかな曲線の為、両端に二人が座ると、お互いに斜めに顔を向けるような形になった。
ジェイムはそれぞれのグラスに、琥珀色の液体を注ぐ。
そして、どちらからともなくグラスの端を合わせると、二人は液体に口をつけた。柔らかな芳香と、円やかな味が口の中へと染み渡る。
「うめぇ! 俺が毎晩飲んでた安酒とは大違いだ」
喜ぶヴィンスターレルを見て、ジェイムは優しげに微笑んだ。
「これは、『ソ・パルローテ』という御酒でございます――尤も、今は製造されてはおりませぬが」
「そうなのか……初めて飲んだ。でも、そんな貴重な酒を、俺なんかが飲んじまっていいのか?」
「構いません。御酒は飲むためにあるので御座いましょう?」
「ま、まぁ、そうなんだけどよ……」
「それに」
ジェイムは肖像画を真っ直ぐに見てから、ヴィンスターレルに顔を向ける。
「旦那様がお好きな御酒で御座いました……私は毎晩のように、こうやって御相伴にあずかっておったのです」
「いや……そう聞くと益々……それにこんなことして、爺さん、ミストに叱られねぇか?」
戸惑いを隠せないヴィンスターレルに、ジェイムは穏やかに言った。
「お嬢様はそんなにお心の狭い方では御座いませんよ。それに、お相手がサーバ様なら、きっと喜んで下さるでしょう」
「うーん……でもなぁ……まぁ、そこまで言うんなら、ありがたく頂戴するか。こんな美味い酒、滅多に飲めねぇし」
「どうぞどうぞ」
そう言って、ジェイムもグラスを静かに傾ける。
「それにしても、あの絵……何で爺さんの部屋にあるんだ? ミストの部屋にある方が自然だと思うんだが……」
再び肖像画に目を向けて、ヴィンスターレルは問う。
「それは……お嬢様に、預って欲しい、と申し付かったからなのです……」
「……そうか」
それ以上、何も聞けなくなったヴィンスターレルは、ただ黙って手の中のグラスを見つめていた。
「……サーバ様」
沈黙を破ったのは、ジェイムの声だった。ヴィンスターレルは、顔を上げ、そちらへと向ける。
ジェイムの黒い瞳が、ヴィンスターレルをじっと見つめていた。
普段は老人とは思えぬほど矍鑠としたジェイムだったが、その時の表情は、何か救いを求めるような、酷く小さなもののように、ヴィンスターレルの目には映った。
「爺さん、どうした?」
ジェイムはその声に、はっとしたように目を伏せ、暫く逡巡するような様子を見せた後、ようやく重い口を開く。
「……この年寄りの昔話に、付き合って下さらないでしょうか?」
ジェイムの様子に、ただならぬものを感じたヴィンスターレルだったが、はっきりと、こう口にした。
「俺で良ければ」
そうして、ジェイムは語り始める。
『ソ・パルローテ』――『追憶』、と名づけられた酒を、口にしながら。
「今から……もう、十五年も前の事で御座います」
「十五年……ってぇと……俺が十一の時か……」
「ほぅ……では、サーバ様は、お嬢様と同じお歳でいらっしゃるのですね」
何気なく口にしたヴィンスターレルの言葉に、ジェイムが反応する。
「あ、悪ぃ。いきなり話の腰、折っちまって……続けてくれ」
「いえ、構いませぬ。私が話しているばかりでは、お相手をして頂いている意味が御座いませんから」
慌てて手を振るヴィンスターレルに、ジェイムは穏やかな声で答えた。
「そうか。ならいいんだが……それにしても、ミストって俺と同い年だったのか。まぁ、俺は赤ん坊の頃、孤児院の前に捨てられてたわけだし、そっから数えてんだから、もうちょっと年喰ってるかもしれねえけどな」
「孤児院、で御座いますか?」
ヴィンスターレルの言葉に、今度はジェイムが意外そうな顔をする。
「あれ? ミストから聞いてねぇのか?」
「お嬢様は、人様の事を簡単に口にするお方ではありませんから。それにしましても……申し訳ない事をお聞きしました……」
少しうなだれるジェイムに、ヴィンスターレルの方がうろたえてしまう。
「いや、いいんだって。てっきりミストから聞いてるもんだとばかり思ってたし、俺が勝手に話したことなんだから。それより、先を続けてくれ」
「はい」
一つ、長い溜息をついてから、ジェイムは話を再開した。
「……サーバ様は、『ベゼルの惨劇』のお話を御存じでしょうか?……十五年前の」
「うーん……俺はその頃、ガキだったしなぁ……あの後、数年はゴタゴタしてたし……」
呟くヴィンスターレルの言葉に、何か含むものを感じたジェイムだったが、今度は何も聞かなかった。ただ黙って、ヴィンスターレルの方を見ている。
「ベゼル……うーん……あ! 宮廷図書館にあった記録で見た覚えがあるな……確か、村の全員が死亡、とかいう奴じゃなかったか?」
「……はい」
ベゼル――アレスタンの北端に位置する山間の小さな村。
だが、そこは今はもう、存在しない。
十五年前、俗にいわれる『ベゼルの惨劇』によって。
村人は全員死亡。そう見なされた。村は周囲の森を巻き込み、炎に包まれたのだ。
それは鎮火できるような規模ではなく、ようやく人が立ち入れるようになった時には、村は焦土と化し、炭になった数多の人型だけが残されていた。そのため、生存確認もままならなかった。
元々他の村落からも離れていたので、炎に包まれた村を発見したのは、行商人の若者だった。当初、彼が疑われたのだが、証拠不十分ですぐに釈放された。
結局は何の解決も見られないまま、現在はかつて村だった場所だけが、そのまま残されているという。
「そこに……私たちもおったのです……」
「……え?」
ジェイムの搾り出すような声に、ヴィンスターレルはそちらを見る。
そこには苦悩に満ちた表情の老人が、いた。
「お聞き及びかも知れませぬが、フローティアの一族は、予知能力に大変優れておりました」
ジェイムは壁に掛けられた肖像画を見ながら、再び重い口を開く。いや、その目が映していたのは、果たして肖像画だったのか。
「ただ、何代も前の御当主の時代――まだ『幻影師』の一族が、それぞれ交流を持っていた頃、話し合いが持たれたそうで御座います。《『幻影師』の力は、これからの世には不要なもの。その力を抑え、一般の人々と同じように暮らして行くのが必要なのではないか》、と」
「それが、力の『封印』ってやつか?」
ヴィンスターレルは手のひらの中で、空になったグラスを意味もなく動かしながら、そう問う。
「はい。ただ、『封印』に関して、具体的にどのような事が為されるのか、そもそも『封印』とは何であるか、私は存じておりませぬが」
ジェイムのグラスも、いつの間にか空になっていた。彼は、それを静かに目の前のテーブルに置くと、話を続ける。
「話し合いの結果、フローティアとリメイニは、力の『封印』に関して積極的だったそうで御座います。ただ、セイノールは――」
「拒否、したのか?」
「……はい」
言葉を引き継ぐようにしたヴィンスターレルに、ジェイムは頷きを返す。ヴィンスターレルの脳裏には、先日出遭った、二人のセイノールの姿が浮かんでいた。
「その後、幾度か話し合いは持たれたようですが、セイノールは参加をすることも無かったようで御座います。そして、フローティアもリメイニも、賛同ではあったものの、それぞれのやり方で事を成そうと、交流は断ってしまったとの事です」
そこでジェイムは一旦言葉を切ると、気づかなかった事を詫びてから、ボトルに手を伸ばし、ヴィンスターレルの持っていたグラスに酒を注いだ。
「奥様も、旦那様も、その事に積極的で御座いました。アレスタン国内の、あちらこちらの町や、村を廻られては、暫しの間そちらに滞在され、旦那様は元々の専門であられた薬草の研究を生かし、医師のようなお仕事を、奥様は、占いなどをなされて、その土地の方々と打ち解けて行ったので御座います」
ジェイムの顔に、遠い日を懐かしむような表情が浮かんだ。ヴィンスターレルは酒に口をつけながら、それを静かに見守っている。
「そうして、辿り着いたのが、ベゼルの村で御座いました」
ジェイムは一息つき、暫しの間を置いてから先を続けた。
「そちらには、奥様と旦那様、お嬢様、そして私と、息子夫婦……傍系のフローティアを合わせ、十数人程で訪れました。その中に、当時二歳だったアーシェも混じっておりました。山々に囲まれた、それはそれは美しい村で御座いましたよ。奥様も旦那様も、大層そこが気に入られて、何度も訪れました。余談ですが、その『ソ・パルローテ』を生産しておったのも、ベゼルの村なので御座います」
ジェイムの言葉に、ヴィンスターレルは手の中のグラスをそっと見つめる。琥珀色の液体が、彼の顔を映し出していた。その間にも、ジェイムの話は続く。
「村の方々も、最初こそ慣れない外の者に警戒しておられましたが、次第にそれも無くなり、とても温かに迎えて下さるようになりました。しかし……十五年前……」
そこで、ジェイムは、瞼を閉じた。
「突然、ベゼルに異変が起こったのです」
「異変?」
問いかえすヴィンスターレルに、ジェイムは静かに頷いた。
「はい。原因不明の病が、ベゼルの村を襲い始めました。高熱にうなされ、身体中に緑色の斑点が浮かび、三日も経たないうちに、死に至るのです……旦那様は必死で原因を突き止めようとなさいました。しかし、全て徒労に終わりました。奥様の占いでも何も分からずじまいで……そして、村の方々は、私たちフローティアを疑い始めたのです」
「な……でも、それって理不尽じゃねぇか? 幾ら閉鎖的な村だからって、まず余所者を疑うなんてよ……それに、それまでは友好的にやってたんだろ?」
思わず口を挟んだヴィンスターレルに、ジェイムはこう答えを返す。
「そうなのですが……それには理由があったのです」
「理由?」
暫しの間を置き、ジェイムは吐息とともに言葉を発する。
「病に罹り始めたのは、特に我々と親しくしていた方々からでした。そして、フローティアの者は、一切病に罹りはしなかったのです」
「でも、そんなのって……」
そう、幾ら何でも、それだけでは理由になり得ないはずだ。
いや、もしかしたら、それだけで充分だったのか。余所者だ、という理由だけで。
そのヴィンスターレルの思いを見越したかのように、ジェイムはそのまま言葉を続けた。
「それだけであれば、理由にはならない筈なのです。しかし……」
しかし。
その言葉に、ヴィンスターレルは何故か、嫌なものを感じた。
「病により亡くなられた方々は、丁重に葬られました。そして、幾人かが埋葬されてから数日後……その遺体が蘇ったのです」
「――そんな馬鹿な!?」
遺体が蘇る。
そんなことが、この世にあるはずがない。
しかし、ジェイムは首を横に振る。
「この目で見た私も、未だに信じる事が出来ませぬ。それは恐ろしい光景で御座いました……そして、蘇った遺体は、次々と村の方々を襲い始めたのです」
肘をテーブルにつき、何かに祈るかのように目の前で組まれたジェイムの手は、微かに震えていた。
「そして、襲われた方々は、同じような病に罹られ、今度は一日と経たぬうちに息を引き取られました。やがて、直ぐに蘇り、無差別に人を襲い始めたので御座います。しかし……フローティアの者だけは、その標的にはなりませんでした」
フローティアが訪れるようになってから突然流行りだした病。
蘇る死体。襲われる人々。
そして、そのどちらも、フローティアを標的としない。
そのことに、言葉を失うヴィンスターレル。
「私たちは、とにかく他の方々に被害がこれ以上拡がらないよう、蘇った死体と戦いました。しかし、例え首の骨が折れようと、身体を破壊されようと、死体は残った身体の一部だけでも動き続けるので御座います。最終的には、火を放ち、身体を残らず炭と化す事で、死体はようやく動くのを止めました。けれども、それを一掃したところで、また別の方が病に罹られるのです……村の方々は私たちの戦闘能力を見て、さらに恐れを大きくしたようで御座いました……そうして、間もなく緊張は一気に切れ、恐慌状態に陥った村の方々が、私たちが滞在しておりました家に、押しかけて参りました」
ジェイムはそこで、テーブルに置いてあった空のグラスに、自分で酒を注ぐと、それを一気に飲み干した。
「その間にも、病は着々と村を蝕み、蘇る死体の数も増えて行きました。私は、奥様と旦那様に、お嬢様をこの屋敷へと連れ帰るように申し付かりました。お二方は、村の方々を何とか説得する、そして病の原因を突き止めると……そう、仰って……」
「そんな、無茶な……」
その状況で、説得など無理だ。病の原因を突き止めるのも殆ど不可能だろう。なのに、何故。
「奥様と旦那様は、何とか村の方々を助けたい、そして……フローティアを『異形のもの』にしたくない、と……」
「そんなこと、言ったって……」
口の中が渇いている。ヴィンスターレルは、酒を口に含む。
「お嬢様は、『ここに残る』と仰られました……村の方々が、信じて下さらないことに怒っておいででした。口々に『化け物』と罵られる事にも……それでも、奥様と旦那様に説得され……いえ、納得などされてはいらっしゃらなかったでしょう。それでも、私と村を出ることに、頷かれました。それが、ご自分のお母上と、お父上の『遺志』になると、ご存知だったのかもしれません」
ジェイムは何かにとり憑かれたかのように、喋り続ける。
「私は、お嬢様を抱え、なるべく村の外れを通りながら逃げました。後方で火の手が上がる音が聞こえましたが、振り向く事はしませんでした。途中、炎に包まれた家々が幾つも見えました。武器を手に、死体と戦っている方々を見ました。疑心暗鬼に駆られ、生者同士で殺しあっている姿も見ました……まさに、地獄絵図で御座いました」
ヴィンスターレルはその情景を思い浮かべ、身を震わせた。
そんなことが。
そんなことがあっていいのだろうか。
「途中で、フローティアの一族の女性が倒れておりました。その者は、背中を刃物で切られ、大量の出血の為、既に事切れておりましたが、庇われるようにして、下敷きになっている者の手が動いておりました……それが、アーシェで御座います。私は血塗れで呆然としているアーシェを片手で抱き上げると、再び走り始めました。途中で何度か、武器を持った村の方や、蘇った死体と出会いましたが、何とか切り抜けることが出来ました。村を出る時、私は一度だけ振り返りましたが、既に周りの木々を含め、村は劫火に包まれておりました……そうして幾日もかけ、私とお嬢様、アーシェは、この屋敷へと戻ってきたので御座います」
いつの間にか。
ジェイムの目からは涙が溢れていた。
「私は……奥様や、旦那様にお仕えしながらも、お二人をお守りする事が出来ませんでした。息子たちも……死なせてしまいました……私は……私は……」
ヴィンスターレルは、ジェイムに言葉をかけてやれない自分がもどかしかった。
自分も、幾多の戦友を見殺しにしたことがある。それを悔やむ心は、今でも癒えない。
孤児院が焼失した時も、沢山の苦しむ友を目の前にしながら、何も出来なかった。
自分も、誰も救ってやれなかった。
だからといって。
だからといって、それを口にして何になるのか。
それとも、主人の命を守り、ミストと、そしてアーシェだけでも救えたことを、良かったと言ってやれば良いのか。
それで、この老人の心は救われるだろうか。
人の心は、その本人にしか分からない。
今、自分は、彼にどんな言葉をかけてやればいいのか。
「……アーシェは、あの娘は、それからというもの、感情を表現する術を見失ってしまいました」
ヴィンスターレルが逡巡している間に、ジェイムが沈黙を破った。
「それでか……」
やっとのことで言葉を搾り出すヴィンスターレル。
彼は、先ほどのアーシェとのやり取りを思い出していた。
『わたしは笑う必要性を感じません。そもそも、《笑う》という事柄が理解できません』
彼女は、感じることをやめることで、自らの心を守ったのだろう。
そうやって、生き抜いて来たのだ。
「お嬢様は……それから、奥様にそっくりになられました」
「……え?」
ジェイムの言葉の意味が掴めず、ヴィンスターレルは声を漏らした。
「髪を短く切られ、お言葉づかいも、立ち居振る舞いも、全て……まさに奥様と瓜二つになられたので御座います。尤も、途中から髪を切るのはお止めになりましたが」
自身を、自分の母親の『身代わり』として演じ続ける少女。
『自分自身』を、殻の中へと閉じ込めて。
「……ミストのお袋さんも、あんなに性格悪かったのか?」
ヴィンスターレルは気まずさのあまり、そんな言葉を口にしてしまう。後悔したが、もう遅い。一度言ってしまった言葉は、取り返しなどつかないのだ。
だがジェイムは、予想に反し、服の袖で涙を拭うと、顔を綻ばせた。
「それは、貴方様に出会われたからですよ」
「俺に……?」
戸惑うヴィンスターレルに、ジェイムは続けて言った。
「あの事件以来、あんなに楽しそうにしておられるお嬢様を見るのは初めてです。サーバ様に出会われてから、お嬢様はお変わりになられました」
そこで突然、ジェイムは長椅子から滑り落ちるように床に降りると、手をつき、ヴィンスターレルに向かい、深々と頭を下げた。
「――お、おい! 爺さん!」
「ですから、お願いで御座います! どうか、どうか、これからもお嬢様のお傍に、居て差し上げてください!」
床に頭を擦りつけんばかりのジェイムの勢いに、ヴィンスターレルは、ただ、黙って頷くことしか出来なかった。
壁に掛けられている肖像画の少女は、相変わらず、満面の笑みを浮かべている。
時を、そこに留めたままで。