微睡みの大地

異郷 1

 凍えた風が、馬上にある肌を突き刺して行く。
 吐息は白い塊となり、すぐさま背後へと流れて消える。
 朝靄に煙る空気は、陽に暖められるのを待ち望んでいた。

 ヴィンスターレルとミストが合流してから一月ほど。
 前方から、巨大な石の壁が迫って来た。
 ――アレスタン王国と、メイドス共和国の、国境である。

「ようやく、着いたな!」
「ええ!」
 ヴィンスターレルがミストに呼びかけると、ミストも彼の方を向き、笑顔で答えた。元々馬を走らせている上に、風が強いため、聴覚の優れている二人でも、自然と声が大きくなる。
 ヴィンスターレルが追いついたあの日以来、ミストは以前よりも笑顔を見せるようになった。朝日を受け、流れるような金色の髪が煌めく。
「それにしても、寒ぃ!」
 ヴィンスターレルが大声でぼやくと、またミストは笑った。そのまま、同意をするように、頷く。途中で立ち寄った町で、新しく防寒具を揃えたが、真冬の風は、容赦がない。外套や、帽子越しに冷たい息吹が浸透して来る。
 国境付近は、度々両国の激戦の地となった。そのため、草も木も少ない。赤茶けた大地が、所々にその姿を晒している。その光景が、余計に寒さを煽っているような気がする。
 ヴィンスターレルは、満足に弔って遣ることも出来なかった、戦友たちの姿を思い出していた。そして、自分が育った、リースの村のことも。

 リースは、今回『解放』された区域の傍ではなく、もっと南に位置している。ヴィンスターレルはその方角をぼんやりと眺めてみた。勿論、ここから村が見えるはずはない。
 あの事件があった後も、ヴィンスターレルは数年の間、リースに滞在していたが、暫くして、村を後にした。それ以来、一度も足を運んでいない。リースの付近で戦闘が行なわれたのは、彼が知っている限りでは、後にも先にも、あの時の一回きりだった。
 郷愁とも、痛みともつかぬものが、ヴィンスターレルの胸に滲む。
 
 そうしている間にも、メイドスとアレスタンを分かつ壁は、大きさを増して行く。

「そこの者ども、止まれ!」
 壁が目前に迫った時、国境の門を守るように脇に控えていた、二人の兵士のうちの一人が、声を上げた。
 ヴィンスターレルとミストは、言われるまま、既に速度を緩めさせていた、馬を止める。
「馬から下りろ」
 その言葉にも、二人は素直に従う。恐らく、これから簡単な取調べを受けるのだろう。
(拙いな……)
 ミストはどうなのかまでは知らないが、ヴィンスターレルは帯刀している。和平協定が組まれたとはいえ、つい最近まで敵対していた国へと入るのだ。恐らく剣の持ち込みは許されないだろう。しかし、ヴィンスターレルは、流石に丸腰で、あのセイノールの二人と対峙する気にはなれない。
「――あっ!」
 その時、近づいてきた兵士とは別の、門の所に佇んでいたもう一人が、驚いたように声を上げる。そうして、急いでこちらに近寄ってきた。
「……どうした?」
 不審気にそちらを見遣る兵士の問いには答えずに、その男は、真っ直ぐにヴィンスターレルの元へとやって来る。
「やはり! サーバ副隊長殿ではありませぬか?」
 不意に名前を呼ばれ、一瞬戸惑ったヴィンスターレルだったが、男の口調から悪意は感じられなかったので、とりあえず答えを返した。
「ああ、そうだ……って言っても『元』、だが」
 男の表情には、興奮の色が見て取れる。ヴィンスターレルは男の浅黒い顔をまじまじと見つめ、記憶の糸を手繰り寄せた。
「私は――」
「ええと……見たことある顔だな……確か、剣を一回だけ教えたな」
 男が言葉を伝え終わるより早く、ヴィンスターレルの言葉がそれに被さる。男は驚愕と喜びの入り混じった複雑な表情を浮かべ、言った。
「――はい、仰る通り、一度ご指導を受けました。覚えてて下さったんですか!?」
「ああ。俺は指導した奴のことは結構覚えてるんだ。名前までは覚えてなくて、悪ぃが」
「いえ! そんなこと! ……本当に光栄です! 私はカイ・ガーレスト、と申します!」
 男――カイは、震える声で言った。
 彼が驚くのも無理はない。アレスタン王国正規軍の五つに分かれた部隊の下には、さらに細かく分かれた部隊と、数多の兵士がいるのである。それを束ねる立場にあったヴィンスターレルが、たった一度剣の指導をした程度の、一介の兵士のことを覚えているのだ。
 流石に直接接触が無かった者などは覚えていないが、それほどまでに、ヴィンスターレルの記憶力は良い。
 ――そのせいで、苦い記憶も内に残りやすい、という欠点もあるのだが。
 カイは、感激のあまり目尻に涙さえ浮かべていた。彼も、ヴィンスターレルを尊敬していた者のうちの一人であったからだ。
 そのやり取りを黙って見ていたもう一人の兵士が、二人を交互に見比べながら、カイを肘でつついて、低い声で言った。
「おい。これが、あの『青い狼』か?」
 問われてカイは、手の甲で涙を拭うと、無言で何度も頷いた。どうやら、もう一人はヴィンスターレルのことを直接見たことがないらしい。『青い狼』という異名は知っていても、別の部隊に所属していたか、何らかの理由で接点がなかったのだろう。
「あの、副隊長殿……」
「だから、俺は解雇された身だって」
 やっと平静を取り戻し、おずおずと口を開いたカイに、ヴィンスターレルは苦笑する。
「では、サーバ殿……あの、こちらの女性は……?」
 そう言いながら、カイの目は、今まで黙って成り行きを見守っていた、ミストの容姿に釘付けになっている。つられてそちらを見た隣りの兵士も、思わずミストに見とれていた。ミストは、二人に向かってにっこりと微笑んで見せる。男たちの表情は、さらに惚けたものになった。
 ヴィンスターレルがどう説明したものか、考えあぐねていると、カイが先走るように続ける。
「お、お綺麗な方ですね……奥さまですか?」
「……は?」
 いきなりのカイの言葉に、間が抜けた声を出し、一瞬思考が止まるヴィンスターレル。
 慌てて気持ちを整えると、否定の言葉を発しようとした――だが。
「ええ、そうなんです」
 ミストの先制で、ヴィンスターレルの口は空回りした。
「そ、そうなんですか? いや、サーバ殿がご結婚されていたなんて、全く知りませんでした……へぇ……」
 顔を赤らめたまま、しきりに感嘆の声を上げるカイに、ミストは尚も続ける。
「ようやく……和平協定も結ばれて……わたくしも主人の帰りを待ちわび、生死の心配をすることもなくなりました……」
 そういって、目の端から堪えきれなくなったように涙を流し、指先で一生懸命、目頭を押さえる。
 ――勿論、嘘泣きなのだが。
「辛い思いをされていたんですね……」
 カイまでつられて泣いている。もう一人の男も、神妙な顔つきでそれを見守っていた。
「――ちょっと待った!」
 堪えかねたヴィンスターレルが大声を上げる。
「騙されるな! そいつは、ただの連れだ! それにそれは嘘泣きだ! こいつは変装と演技が趣味の、変人なんだ!」
「酷い……」
 それを聞いて、ミストは泣き崩れるようにその場に蹲る。
「サーバ殿! あんまりです!」
 カイの非難がましい声。隣りの兵士も冷たい視線をヴィンスターレルに向けている。

 ――結局、誤解が解かれたのは、もうすぐ昼に差し掛かろうか、という頃であった。


「ええ……大変申し訳ないのですが、帯刀してメイドスに入国することは許されておりません」
 カイは、ヴィンスターレルの顔色を窺うように、時折目線を向けては逸らしを繰り返しながら、小さな声で言う。
 ヴィンスターレルとミストの関係が、誤解だと分かってからというもの、彼は何度も詫びの言葉を口にし、二人――といっても主にヴィンスターレルの方に――頭を下げていた。
 尊敬する『青い狼』を、自分の誤解で非難してしまった事が相当堪えたらしい。
 最も、ヴィンスターレルはミストの奇行に慣れているので、別段気にはしていなかったし、誤解を招いた当事者であるミストはというと、そしらぬ顔で、門の方を眺めているのだが。
 この時間ともなると、国境には多くの人々が集まって来ていた。アレスタンからメイドスへと向かう者、またはその逆。
 門に取り付けられた扉は既に開放されていたので、メイドス側の様子も垣間見ることが出来た。向こう側にも長蛇の列が出来ている。
 恐らく、こちら側と同じように、門の傍に出入国受け付け用のテントが設営されているのだろう。手続きのためや、人員整理のための兵士も出てきており、かなりの人数になっていた。
 先ほどカイと一緒にいた兵士も、どこかに行ってしまっている。
(多分、そろそろ……)
 ミストが暫く門の先を眺めていると、メイドスの方から、人込みをかき分けて、こちらへとやって来る者の姿が見えた。
「――そちらのお二方! もしや、ミスト・フローティア殿と、ヴィンスターレル・サーバ殿ではありませぬか?」
 轟くような大声。
 周囲の人々の目が、一瞬にしてその声の主へと集まった。
 視線に晒され、ばつの悪そうな表情を浮かべながらも、その人物は、こちらへと歩みを進める。
「ええ、そうです」
 その者が目の前まで来るのを待ってから、ミストは頷いた。
 見上げるような大男である。ヴィンスターレルよりも、さらに頭ひとつ分は高い。歳は三十代半ばくらいだろうか。赤みがかった短髪に、厳つい顔。その強面をさらに強調するかのような太い眉。銀色に光る鎧を身に着けている。
 その男を見て、カイは途端に渋面になった。
 やはり、つい最近まで敵同士だったという立場は、心を簡単に切り替えさせてはくれない。そんなカイを横目で見ながら、ヴィンスターレルは男の顔を見て、小さく声を上げていた。
「……あ」
「いつぞやは、一戦交えましたな」
 そう言って男は、口の端を上げて笑顔らしきものを形作った。

 男は、マーズ・レンドルと名乗った。
 そしてミスト、ヴィンスターレル、カイの方へ、順に顔を向けると、話を始める。
「メイドス共和国中央議会から、フローティア殿、サーバ殿に関しては、賓客としてお招きするよう、申し付かりました。そのため、入国の手続きも、所持品の改めも必要ありませぬ」
 マーズの言葉に、カイは明らかな疑念の眼差しを向けた。
 だが、入国される側がそう言って来ている以上、口を挟むことは出来ない。
「そちらが、そう言うのであれば……では、出国の手続きだけ受けて頂きます。お二方は申し訳ありませんが、あちらの列にお並びください」
 不服そうな表情のまま、カイはヴィンスターレルとミストに告げた。それを受けた二人は、無言で頷き、不揃いな線を描いている、人だかりの最後尾まで移動を始める。
 それを見届けた後、カイはマーズに向かって言った。
「申し訳ありませんが、暫く時間がかかると思います。貴方はメイドス側の出口でお待ち下さい」
「承知した」
 そう言って背中を向け、メイドスの方へと向かうマーズを、カイは複雑な気持ちで見送る。
(何で、賓客扱いなんだ……?)

 その頃、同じ思いをしている者がもう一人いた。
 中々短くならない列を、苛立ちながら眺めている、ヴィンスターレルである。隣にいるミストをちらりと見てみると、彼女は何食わぬ顔で立っている。それを見て、先ほどのカイたちとのやり取りが、急に脳裏をよぎった。
「ミスト」
「はい」
 ヴィンスターレルから問いが発せられるのを待っていたかのように、ミストは静かにこちらを向く。
「さっきの演技の話だが……」
「あら。わたくしは、本気でしたのに」
 ミストは微笑みながらさらりと言う。だが、そう来ることはヴィンスターレルの予想の範囲内だったので、彼はその言葉を無視し、先を続けた。
「わざと時間、引き延ばしてたな」
 今度はミストも真面目な顔で頷く。
「ええ、お迎えが来ると思っていましたので……尤も、あのようなことをしなくても、いずれは来たかと思いますが」
 ミストの言葉を聞き、ヴィンスターレルは呆れたように肩を竦める。
「また、お前の悪い癖だ……まぁ、それはともかくとして……監視されてるってことか」
「そう思って、間違いないでしょう。メイドスの国内に入っても、どこに『目』があるかわかりません」
 それを聞き、ヴィンスターレルは深い溜息をつく。それは外気で白くなり、空へと昇って行った。
「それも、『遺産』絡みか……向こうにとっちゃ便利かもしれねぇが、こっちにしてみりゃ、不愉快だな」
「道具というものは、使い方次第ですね」
 ミストもヴィンスターレルに倣い、肩を竦めて見せた。
 そして前方に目を遣る。列はまだ、長い。
「それにしても、中央議会まで出てくるとは……」
 ヴィンスターレルは腕を組む。
 メイドス共和国、中央議会。
 多くの議員から成るメイドス上層部において、その中から特に選ばれた六人の議員から形成されている、事実上の国の頂点である。
「恐らく、あの子たちがメイドスの中枢部に深く関わりを持っているか……もしくは、あの子たち自身がメイドスの中枢そのものであるかのどちらかでしょう」
 ミストの発した言葉にも、ヴィンスターレルは驚かなかった。

『メイドスにおいで』

 あの時の情景が鮮明に蘇る。
 そして、セイノールたちの、あの力。
「可能性は、どちらが高いと思う?」
 ヴィンスターレルは、自身の気持ちを確かめるかのように、ミストに訊ねた。
 答えは多分、自らの想像と同じだろうと予感しながら。
「……後者だと、思います」
 そう言ってミストも、溜息をつく。
 先ほどよりも小さな雲が、また空へと昇って消えた。

 出国の手続きもようやく終わり、ヴィンスターレルとミストは、国境の門をくぐり抜ける。するとそこには壁に身体を預け、メイドスの側へと顔を向けて、大きな欠伸をしているマーズの姿があった。傍らでは灰色の毛並みをした馬が、鼻先で大地と戯れている。
「――おっと、こりゃ失礼」
 二人の前でまた失態を晒し、マーズは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「いいえ。お待たせして申し訳ありませんでした」
 そう言って微笑むミストに、マーズはまた顔を赤らめる。
「では、参りましょうか」
 マーズの言葉に、ヴィンスターレルとミストは、無言のまま頷いた。

 そしてマーズに先導され、二人は、異郷へと入り込む。

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