微睡みの大地

異郷 2

 メイドスへと入ってすぐに、なだらかな丘陵が続いていた。
 こちら側の大地にも、アレスタンと同じように、戦いの歴史を物語る痕跡が、あちらこちらに残されていた。
 その光景を見た瞬間、ヴィンスターレルの胸に小さな違和感がよぎる。
 その小さな、しこりのようなものは次第に拡大し始め、疑問の形として彼の内に具現した。
(そういえば……)
 ヴィンスターレルは以前、宮廷図書館で、アレスタンとメイドスの争いの歴史についての資料を読んだことがある。
 その資料によれば、長い戦争の中で、それぞれの首都まで及ぶことはなかったものの、幾度もお互いの領土は侵攻、占領を繰り返され、国土の形は変化をして来た。
 しかし、ヴィンスターレルが軍に入ってからというもの、国境付近以外で戦闘が行なわれたことは、少なくとも、彼の記憶では一度もない。
 ヴィンスターレル自身も何度も前線に赴いたことがあるが、もう少しで勝利を収めそうだという時に、撤退命令が下されることは度々あった。
 また、こちら側の戦況が不利になった時も、メイドスの軍が突然引き上げていくこともあった。
 では、一体何のための戦争だったのか。
 相手を自国の支配下に置くため、領土を拡大するため、または『中空の平原』を我がものにするため――何らかの利益を得ようとしての争いではなかったのか。
(何故だ……?)
 その問いは、ヴィンスターレルの内側を、何かの染みのように浸食していった。

 夜の帳が降り始めた頃、一行は、小さな町へと辿り着いた。
「ここは、セルテラという町です。今夜はここに宿泊していただくことになりますな」
 前を行くマーズが、相変わらずの大声で説明する。
 それを聞きながら、ヴィンスターレルとミストは、周囲を注意深く観察していた。家々には灯がともっているが、人通りはまだあった。
 薄暗い中で遊びに熱中している子供たち。
 それを呼びに来る母親。
 これからが活動時間だというかのように、うろついている若者や、男たち。
 そして、ひとつの白い建物に、ミストの目が留まった。
 石造りで、小ぢんまりとはしているが、他の家よりも高さがある。建物の先端に行くほど細くなる独特の形。そして、頂上に立つ白い像。
 ――テラ・パトリシュア教会。
 白いローブを身に纏い、頭には『叡智』を表す宝冠を、右脇には『技巧』を表す箱を抱え、左手で『平定』を表す長い木の枝を地面に突き立てている大地の女神、『テラ・パトリシュア』を信仰する教会である。
 この女神はリドス大陸の北東、アレスタンとメイドスを中心に幅広く信仰され、大陸内で最も有力な宗教の一つであった。
「今夜はあちらに泊めて頂きましょう」
「――ええっ!?」
 ミストの発言に、ただでさえ大きな声をさらに張り上げ、驚いたのはマーズだった。
「そりゃ困りますよ! もう宿も予約してあるんです! 私は中央議会から、お二人のお世話を仰せつかってですな――」
「ヴィンはどう思われますか?」
 顔を真っ赤にしながら慌てふためくマーズの言葉を遮って、ミストはヴィンスターレルに向かって問う。
「俺はミストの意見に賛成だな」
 即答したヴィンスターレルの言葉に、ミストは満足げに頷いてから、やっとマーズの方へ顔を向けた。
「二対一で決定ですね。メイドスでは、中央議会でもこういった採決方法を取られるのでしょう?」
 そう言って微笑むミストに、マーズは口を噤むしかなかった。

 三人は教会を囲む低い塀の間にある、万人に対して開かれた、門のない入り口を通り抜け、教会の中庭へと馬に乗ったまま入った。辺りに人影はない。
 そして近場にあった木に馬を繋ぎとめると、歩いて教会に近づく。
 建物が近づくと共に、天上に聳え立つ女神の石像も近づいて来た。
 瞳の描かれていない目が、こちらを静かに見下ろしている。
 ミストはそれを一瞥してから、大きな木の扉の前に立ち、ノックした。
 やや遅れてヴィンスターレルも追いついて来る。ミストにやり込められ、うなだれているマーズは最後尾だった。
 暫く経っても誰も出てくる気配がない。ミストはもう一度扉を叩いてみたが、結果は同じだった。試しに取っ手に手を掛けてみると、扉は簡単に開く。失礼だとは思ったが、ミストたちは勝手に中に入らせてもらうことにした。
 教会の中は、入ってすぐ、小さな礼拝堂になっていた。夜の礼拝が終わったばかりなのだろうか、ランプがいくつか灯され、ほのかに堂内を照らしている。微かに香の匂いも立ち込めていた。
 中には木製の椅子が奥に向かって幾つも並び、その先には祭壇がある。そこには、教会の上にあったものと同じような、テラ・パトリシュアの像が立っていた。下から照らされた光に、白い姿が厳かに映る。
「ごめんください! 夜分に申し訳ありません!」
 ミストの出した声が、礼拝堂にこだまする。
 すると、こちら側から見て、祭壇の左手奥にある扉の方から音が聞こえた。
 そして、暫しの間を置いてから、扉をゆっくり開け、白いローブを身に纏った、痩せぎすの老女が出て来た。そしてそのまま、静かに近づいてくる。どうやら足が悪いらしく、少しぎこちない動作だった。
「夜分に申し訳ありません。こちらの守り様でいらっしゃいますか? 宜しければ、一晩こちらに泊めて頂けないでしょうか?」
 ミストは再び謝罪の言葉を述べてから、要件を告げた。テラ・パトリシュア教では、神に仕える者は、神の規律を守り、そして神を守る役割から『守り』と呼ばれる。守りの老女は、穏やかな笑みを浮かべてそれに答えた。
「ええ、勿論構いませんよ。ただ、お泊め出来るようなお部屋が空いておりませんので、子供たちと一緒になってしまいますが、宜しいですか?」
 多くの教会は、親に捨てられたり、戦争で孤児になった者たちを引き取る場にもなっている。ここは小さな町ではあるが、国境にも近いので、特に戦災孤児が多いのかもしれない。
 ミストは要らぬ心配だと解っていながらも、ついヴィンスターレルの方を窺ってしまった。だが、彼はミストに微笑んで見せてから、守りに向かって答える。
「勿論構わない。有り難い」
 それを聞き、老女は頷くと、先ほど自分が出てきた扉の方へと戻って行く。三人はその後について歩き出す。
 扉を抜けると、廊下が真っ直ぐに伸びていた。建物は、奥に長い構造になっているようだ。両脇には扉の無い部屋が幾つも並び、子供たちのはしゃぐ声が聴こえて来た。
 守りはその一つ一つを覗き、「早く寝なさいね」と注意しながらゆっくりと奥へと歩みを進める。三人もその速度に合わせて、ゆっくりと進んだ。
「それにしましても……もうすぐ千年祭というこの時期に、あなた方がこちらに来られたのも、きっと母のお導きでしょうね」
 唐突に老女が三人を振り返って言った。
 教義によれば、テラ・パトリシュアは千年前、この大陸を平定し、永きに渡る眠りに就いたという。そして、千年目に当たる今年、テラ・パトリシュアは再び大陸に秩序をもたらすために、目覚めるという。
 そのため、今年はテラ・パトリシュアを信仰する者たちの間で、それを祝う『千年祭』が執り行われることになっていた。
 このような小さな町では、それほど規模の大きなものは行なわれないだろうが、例えばアレスタンの王都、マイラのテラ・パトリシュア教会では、千年祭のための準備が何年も前から為されていた。
 ちなみに、ヴィンスターレルもミストも、特定の宗教は信仰していない。
(千年祭……)
 だが、幾度も聞いたはずのその言葉が、何故か今になって、ミストの心に爪痕を残した。

 そうこうしているうちに、廊下の一番奥まで辿り着く。
 守りの老女は、右手の部屋を指し示した。
 ヴィンスターレルが中を覗くと、五人の子供たちが枕を投げあって遊んでいる。老女が注意すると、ピタリとその騒ぎが止んだ。そして一斉にこちらを振り向く。皆、十歳に満たないほどの年齢だろう。全員が守りと同じような白いローブを着ていた。
「皆さん、お客様ですよ。一晩こちらにお泊りになります。失礼の無いようにね。それから、もう寝なさい」
 老女の言葉に、子供たちは声を揃えて「はーい!」と言った。

 守りが去り、ヴィンスターレルたちが中に入ると、先ほどの騒ぎがまたぶり返す。その中で一番年下に見える、短い金髪の少女が声を上げた。
「うわぁ! すっごいキレイなおねえさんと、カッコいいおにいさん!」
「――と、ゴツイおじさん!」
 黒髪でいかにも活発そうな少年が言葉を引き継ぐと、子供たちの中にどっと笑い声が起こった。
「お、おじさん!? 俺はまだ二十八だぞ! お兄さんだ、お兄さん!」
 マーズがむきになって怒鳴る。その声があまりにも大きいので、ヴィンスターレルが慌てて止めに入った程だった。しかし、マーズの実年齢には、ヴィンスターレルもミストも少なからず驚いた。少なくとも三十は超えていると思っていたのだ。どうやら、マーズは老けて見えるらしい。
「大体、俺とこのお二人もそんなに歳は変わらないはずだぞ! 何で俺だけ『おじさん』なんだ!」
 先ほどより声は小さくなったものの、相変わらずマーズは顔を紅潮させて怒っている。老けて見られるのが相当嫌なのだろう。
 子供たちは、マーズの強面に怯えもせず、それどころか、反応に喜んでさえいる。先ほどの黒髪の少年が、にやにや笑いながら言った。
「だって、カッコよくないもん」
 その言葉に、子供たちがまた笑う。
「これだから子供は嫌いなんだ!」
 マーズはそう嘆いたが、結局のところ、子供たちに一番懐かれたのは彼だった。枕をぶつけられたり、ズボンを引っ張られたりして、すっかり玩具にされている。マーズはもう怒る気力も失せたようだった。
 暫くそれを、微笑みながら見ていたヴィンスターレルとミストだったが、どちらからともなく目配せをして、マーズに悪いとは思いながらも、静かに部屋を出る。
 ヴィンスターレルは先ほど廊下の突き当たりに扉があったのを目にしたので、そちらに向かう。守りの老女が反対側に歩いて行ったのと、ドアの位置からして、外に出られるのではないかと考えたのだ。
 そして、それは正しかった。鍵の掛かっていない扉を開けると、小さいながらも庭のようなものがあった。石で囲まれた花壇があり、木で出来た長い椅子もある。低い塀越しに、周囲の家々の明かり。夜空には数多の星々や、半円形の月も飾られていた。
「同じだ」
 椅子に腰掛け、一息つくと、唐突にヴィンスターレルは口を開く。
 ミストは黙ってヴィンスターレルを見ている。
「……いや、同じだなぁって思ったんだ。俺がいた孤児院もこんな感じだった。みんな親に捨てられたり、戦争で親を亡くしたり……でも、元気だった。勿論、全員とは言わねぇけどさ」
「……はい」
「何で、戦争なんて馬鹿なことするんだろうな……って、それに参加してた俺が言うのもなんなんだが……俺、メイドスに来て思ったんだ。アレスタンも、メイドスも関係ねぇ、みんな一生懸命生きてるんだって。人間として、違う所なんて、どこにもねぇ。国境なんてただの壁だ。結局は、一部の人間の都合で勝手に線引きされて、勝手に争ってるだけだ」
 そう言って、ヴィンスターレルは花壇の花に目を遣った。ミストは月を見上げ、「そうですね」とだけ答える。
 暫く沈黙が訪れた。
 ヴィンスターレルは、少し迷うようにしてから、再び口を開く。
「……なぁ、ミスト。戦争の原因は何だと思う? 本当に領土争いか? 『中空の平原』絡みなのか? 何かの利益を求めてのことか? ……今日、メイドスに入った時に、急におかしなことに気づいた……少なくとも俺の覚えてる限りじゃ、俺が軍に入ってから、国境付近以外での戦闘はなかった。不自然な撤退命令もあった」
 ミストは、月を見上げたまま、穏やかに言う。
「わたくしにも……解りません」
「ああ、悪ぃ……もしかしたら、お前なら何か知ってるかと思って……」
「ですが……」
 ミストの言葉に、ヴィンスターレルは顔を上げ、ミストを見た。
 夜空に目を向けているミストの横顔が、心なしか哀しげに見える。
「……テラ・パトリシュア」
 暫し逡巡してから、ミストは言葉を発した。
「テラ・パトリシュア?それって……宗教戦争ってことか? そんな話、聞いたことねぇぞ?」
 ヴィンスターレルの問いに、ミストは目を伏せた。
 また間をおいてから、搾り出すように言葉を紡ぐ。
「……解らないのです。わたくしにも解りません……今は、憶測でしかないことです。ただ、テラ・パトリシュアが関係しているのだと思います。千年祭……もしかしたら、わたくしが、あの子たちの元に行くことで、事態は悪化するのかもしれません……わたくしの、個人的な興味で、もしかしたら恐ろしいことに……でも、それすらも解らないのです……いずれにしても、止めなければならないことです。そのためには、やはり向かわなければなりません」
 ミストの言葉は、自身の混乱を象徴しているかのように、切れ切れで、曖昧だった。小刻みに震えている彼女を見て、ヴィンスターレルは掛ける言葉を見つけられなかった。
「……中央議会に、俺たちの監視を命じられているのか?」
 代わりにヴィンスターレルの口から出た言葉。
 それに答えるように、庭と建物を結ぶ扉が開く。
 出てきたのはマーズだった。子供たちの相手で疲れたのか、全身から倦怠感が漂っている。服も髪も、よれよれになっていた。
「い、いや! 決してそのようなことは……お二人が出て行ったのが見えまして、それで、こちらから気配がしたものですから……ただ、お二人のお話はお聞きしていません! 信じて下さい!」
「――わかったから。あんたは声がでかすぎる」
 大袈裟な身振りと声で弁明するマーズを、ヴィンスターレルは疲れたように制止する。
「いや、本当に申し訳ない……それにしても、やっとみんな寝てくれました……」
 溜息をつきながらそう言うマーズの姿を見て、ヴィンスターレルもミストも、思わず吹き出した。重かった空気が、夜空に霧散する。つられて、マーズも苦笑した。だが、その表情は一転して真剣なものになる。
「お二人にこんな事をいうのも何ですが……私たちは、一体何に踊らされているのでしょうか?」
 その言葉に、ヴィンスターレルとミストは顔を見合わせた。
 マーズの言葉が、全てを代弁してくれていた。

「あ〜あ、やっぱり指定した宿には泊まってくれなかったね……だから他の場所にも『アイ』を仕掛けようって言ったのに〜! サリュートアがケチだからぁ!」
「いいんじゃない? 別に。だって無駄でしょ? 『アイ』ばっかりに『パワー』は割けないし。他に重要なのが一杯あるんだから」
「国境であったみたいな、お兄さんとお姉さんの面白い掛け合いが見たかったのにぃ〜!」
「そのうち見られるよ。ここには来てくれるだろうしね」
「大体さぁ、なんでマーズに、いつもみたいに『イア』を持たせなかったわけ? あれがあれば、話だけでも聴けたのに!」
「その方が、面白そうだったからだよ。あの人は何か勘付いてるみたいだからね」
「……それって、どこが面白いの? サリュートアの感性ってよくわかんない」
「それに、あの人の大声を聴いてたら、耳が痛くなるでしょ?」
「あはは! それならわかる!」

 それぞれの夜は、更けて行く。

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