微睡みの大地

軌跡 1

 ヴィンスターレルは薄闇の中、目を覚ました。ベッドから身体を起こし、辺りを見回す。
 子供たちはまだ穏やかな寝息をたてている。その中で、マーズだけは派手ないびきをかき、異彩を放っていた。
 何となく身体が怠い。昨晩、早々に寝入ったマーズのいびきで、中々寝付けなかったのだ。ベッドから降り、マーズの方を見ると、相変わらず彼は、気持ち良さそうに眠っていた。その傍らには、昨日マーズを『おじさん』呼ばわりし、散々からかっていた黒髪の少年が、その腕にしがみつくようにして眠っている。よっぽど気に入られたのだろう。
(仕方ねぇな……)
 マーズのいびきには腹が立ったが、少年の安らかな寝顔に免じて、ヴィンスターレルは許す事にした。幸せそうに眠る少年を見ていると、思わず笑顔が零れる。
 この少年は、どんな境遇を経て教会へと引き取られたのだろうか。普段は強気で活発そうにしているが、まだ親の恋しい年頃だろう。そう思うと、ヴィンスターレルの胸は痛んだ。
 もしかしたらマーズに、自分の父親の姿を重ねているのかもしれないと、そのようなことをふと思う。
 ――マーズにしてみれば、不本意なことかもしれないが。
 そしてヴィンスターレルは、ミストの姿がないことに気づいた。彼女が寝ていたはずのベッドは空になっており、毛布も綺麗に畳んで置いてある。
 ヴィンスターレルは、皆を起こさないように気をつけながら、部屋をそっと出た。
 廊下も明るさに乏しい。まだ夜明け前なのだろう。
 日が昇るのを待ちきれなかった小鳥たちのさえずる声が、遠くから不規則な波動となって耳に届く。
 ヴィンスターレルは何となくミストがそこにいるような気がして、昨晩彼女と話した小さな庭に出てみることにした。
 扉を開けると、果たしてミストはそこにいた。椅子に腰を掛け、紫の濃い空を眺めている。そしてヴィンスターレルが来たことに気づくと振り返り、顔を綻ばせた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう――本当に早いな」
 そう言ってヴィンスターレルは、ミストの隣りへと腰を下ろす。
「ヴィンこそ」
「俺はマーズのいびきがうるさくて、あまり寝られなかったんだ」
 不機嫌な表情で言うヴィンスターレルに、ミストは笑いを噛み殺しながら、こう返した。
「……実は、わたくしもなんです」
 その途端、二人は堪えきれなくなり、同時に吹き出す。当のマーズは、こんなことを言われているとも気づかずに、今も夢の中だろう。そう思うと、余計に笑いが止まらなくなった。
「それだけじゃ、ねぇけどな」
「それも、同感です」
 ひとしきり笑った後、ヴィンスターレルが切り出すと、ミストも頷く。そうして、ヴィンスターレルの瞳を真っ直ぐに見つめ、一言一言を噛み締めるように言葉を発した。
「……ヴィン、あの子たちに会った時には、決して、心を乱さないようになさって下さい。あちらの話に答える時は、全て、否定の形をした言葉で答えて下さい。逆に、こちらが話すことがあれば、肯定的な言葉で話して下さい」
「『術』にかからないようにするためだな」
「はい」
 こちらもミストの目を見据えながら、頷いたヴィンスターレルに、ミストは頷きを返す。だが、その目はすぐに遠方へと逸らされた。
「ただ……それもどこまで通用するか、正直に申し上げて、わたくしにも解りません……あの子たちの『力』は、強大です」
 自信なさげなミストの横顔を見て、ヴィンスターレルが迷った挙句に見つけられた言葉は、これだけだった。
「まぁ……何とかなるだろう」
 その声に、顔を上げたミストは、笑みの形を作り、小さく頷く。
 やがて、空は白み始めて来る。
 一条の光が、二人の顔を貫くように照らした。
 半円形の月は、色素の薄くなった空にその姿を溶け込ませようとして行く。
「綺麗ですね……」
「ああ」
「同じ……世界はこんなに平等なのに……」
 寂しげに呟いたミストの声を遮るように、教会の鐘が鳴り響いた。

 日の出とともに鳴らされる鐘の音で、教会の子供たちは目を覚ます。
 そして、朝食を摂る前に、朝の『課題』をこなすのだ。
 『課題』とは、教会内の清掃と、礼拝。
 子供たちは、それぞれに清掃用具を持ち、いつもの持ち場へと、眠い目を擦りながら散って行く。
 ヴィンスターレルたち三人も、『課題』の手伝いをした。黒髪の少年――リィクという名らしい――を筆頭に、同じ部屋で一緒になった子供たちと、礼拝堂の掃除をする。
「おじさん! ここもやってよ!」
 ヴィンスターレルとミストが、礼拝堂の入り口に近い場所で手を動かしていると、祭壇の方からリィクの大きな声がした。
「そこはお前の担当だろ! 自分の仕事は自分でやれ!」
 それに答えたのは、リィクの倍ほどもある、マーズの大声だった。
「――うわっ!おじさん、声がでかいんだよ! こんなに近くにいるんだから、もっとちっちゃい声でもきこえるってば!」
「うるさい! 俺の声がでかいのは生まれつきだ!」
 リィクの非難の言葉に、マーズの声はさらに大きくなる。どうやら、『おじさん』と呼ばれるのを訂正するのは諦めたらしい。
 掃除を続けながら、ヴィンスターレルとミストは、必死で笑いを堪えていた。

 清掃が終ると、今度は礼拝の時間が来る。
 焚かれた香の煙で霞みがかった堂内に、守りの祈りの言葉が響く。
 並んだ椅子に腰を掛け、祈りの言葉に合わせ、右手の指先を上に、左手の指先を下にして手のひらの中央を合わせる独特の『印』を形作る。これは上を向いた右手が『天』を、下を向いた左手が『大地』を、手のひらの合わされた部分が『中空』を示すという。
 ヴィンスターレルは礼拝が初めてだったので多少戸惑ったが、ミストとマーズは作法を知っているらしかった。ヴィンスターレルも、見よう見まねでやってみる。テラ・パトリシュアの白い像が、薄い煙を身に纏い、穏やかな威厳を放っていた。

 やがて礼拝の時間も過ぎ、質素な朝食を皆で食べ終えると、ヴィンスターレルたちが旅立つ時がやって来た。守りの老女に礼を言い、子供たちに別れを告げる。特に、相部屋になった子どもたちは別れを惜しみ、泣き出す者さえいた。ヴィンスターレルたち三人や、守りに宥められ、ようやくその場が収まる。そして皆、笑顔で「またきてね!」と見送ってくれるようになった。
 しかし、リィクの姿はそこになかった。
 マーズは名残惜しそうにしていたが、暫くして諦めたのか、ヴィンスターレルたち二人を促し、教会の中庭にある、馬を繋ぎとめた場所まで歩き出す。
「――おじさん!」
 そこに、声が掛かった。
 三人が振り返ると、教会の入り口に集まっていた子供たちを押しのけ、急いでこちらへと駈け寄って来るリィクの姿があった。そして、マーズの前まで来ると、彼に向かって何かを差し出す。
「リィク、どうした?」
「……これ」
 マーズの問いには答えずに、リィクは彼の手を取ると、押し込めるように持っていたものを握らせた。マーズは手のひらを開き、渡されたものを見つめる。それは、古いコインに、鎖が通されたものだった。
「……これは?」
 マーズは訳が分からず、リィクに問う。
 リィクは、マーズから目を逸らし、早口で捲くし立てた。
「それ、父ちゃんの形見で、おまもりなんだって。父ちゃんは死んじゃったから、あんまり効果はないかもしんないけど、おじさん、ドジだからさ、貸してやるよ。やるんじゃないぞ、貸すんだからな、絶対返しに来いよ!」
 マーズは、暫しの間、コインとリィクを交互に見ていたが、その巨体を屈ませ、リィクの目の高さと同じ位置に顔を持ってくると、彼の頭を撫で、笑顔で言った。
「……ああ、ありがとう。絶対返しに来るぞ」
「――絶対、絶対だからな!!」
 そう答えたリィクの声は震えていた。
 そしてそのまま、来た時と同じように、全速力で教会の方へと走って行き、人を押しのけ、開け放たれたままの扉の奥へと姿を消した。
 少しの間、マーズはその姿を見送っていたが、やがてコインを首に掛けると、ヴィンスターレルとミストに向かって言う。
「……さあ、参りましょうか」
 二人は、無言で頷き返す。
 教会の方を見ると、子供たちは皆、中へと入り、守りの老女だけが立っていた。そして、彼女は深々とこちらに頭を下げる。
 三人は、守りに礼を返すと、セルテラの、テラ・パトリシュア教会を後にした。

 セルテラを発ってからというもの、マーズの口数は少なくなった。
 ヴィンスターレルやミストが話し掛けても、どこか上の空であることが多い。そして、まるで無くなっているのではないかと不安がるかのように、マーズは頻繁に、胸に下げたコインの存在を確かめていた。
 辺りの風景からは、少しずつ、草木が少なくなり、赤茶けた大地がその姿を晒すようになって来る。これは、戦渦によるものではなかった。
 メイドス共和国は、元々、資源に乏しい国である。その代わり、加工技術が発達し、工業で発展を遂げて来た。材料となるものを、南に隣接する商業大国ニンガから仕入れ、加工したものを、ニンガへと売る。そしてそれを媒介とし、『商品』は他の国々へと流れていく。
 逆に、アレスタン王国は、南部を流れる大河のもたらす豊穣な土によって、農業で栄えて来た。これも、ニンガを通して流通をする。
 皮肉なことに、争いを繰り返しながらも、ニンガを通し、アレスタンはメイドスの製造した武器を使い、メイドスはアレスタンからもたらされる食料で生き長らえて来た部分があるのである。
 ニンガは商人たることに誇りを持った人々で形成された国だ。粗悪品と見れば、平気で交渉を断わる。それを無理に流通させようものなら、今後の商談に甚大な被害を及ぼす。そして、リドス大陸のほぼ中央に位置するニンガの取引国は、大陸全土に渡る。
 ヴィンスターレルが持っている剣も、メイドスの名高い刀匠の作だ。彼自身、そのことを常に疑問に思いながら戦って来た。
 敵国の生産したもので、『敵』を切り捨てることに。
(本当に、馬鹿げている……)
 徐々に荒野と化していく光景を眺めながら、ヴィンスターレルは思った。
 厚く覆われた雲の隙間から射す日の光は、余計にその風景を、虚しく見せた。
 ふと顔を向けると、ミストが不思議そうにこちらを見ている。
 ヴィンスターレルは、笑顔を作って見せた。安心したかのように、ミストも微笑む。そうしてから、目線を前にいるマーズに向けた。つられてそちらを見ると、マーズの背中はどこか寂しげに見える。
 彼の愛馬の灰色の尾だけが、何事もなかったかのように、ゆらゆらと揺れていた。

 西日が差し始め、次の町が遠目で確認できるようになった頃。
 唐突に、マーズは馬を止めた。そしてそのまま朱い大地へと降り立つ。
 流れていく風が、まばらに生える草木を、そしてマーズの短い髪を揺らす。茜色の空は、彼の赤毛を波打つ炎のように照らし出していた。
「……おい、あんた。どうした?」
 馬上から掛けるヴィンスターレルの声が聞こえていないかのように、マーズはただ、黙って立っている。その目は、首から下げたコインに向けられていた。
 マーズはコインから目を離さないまま、手でそっとそれに触れ、握りしめる。
 まるで、何かに迷うように。
 まるで、何かに縋るように。
 真摯な表情で立ち続ける彼に、ヴィンスターレルもミストも、声を掛けられなかった。
 やがて。
 マーズはコインから手を離すと、ヴィンスターレルとミストに向かい、笑顔を見せた。
 そして、懐から何かを取り出す。
 木製の板――アレスタンと形式は異なっていたが、それは、通行証のように見えた。それを、近くにあった岩に向かい、躊躇わず叩きつける。
 板は、あっさりと割れた。乾いた音が刹那、辺りに響き、風に溶けて消える。
「おい! あんた、何やって――」
「いやぁ、私はドジですから、うっかり通行証を割っちゃいましたよ! 参りましたなぁ!」
 ヴィンスターレルの慌てた声を遮り、マーズは芝居がかった大声を轟かせ、笑う。そして、たった今、自らの手で破壊した通行証の欠片を拾い集めると、何かを確かめるかのように、一人で頷きつつ、こう言った。
「まぁ、字も読める事ですし、問題はないでしょう」
 何かにとり憑かれたように――いや、何かが抜け落ちたかのように笑う、マーズの姿を前に、ヴィンスターレルとミストは、黙って顔を見合わせるしかなかった。

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