微睡みの大地

軌跡 2

「ここは、イル、という町です」
 前を行くマーズの言葉に、ヴィンスターレルは眉をひそめた。
 ――相変わらずの大声のためではない。聞き取りやすい程度の声だったからだ。
「……あんた、普通に喋れるんだな」
 ヴィンスターレルの漏らした感想に、マーズは馬上から振り返る。
「小声すぎますか?」
「いや、ちょうどいい」
「なら良かった」
 そう答えたマーズの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
 イルの町は、規模としてはセルテラと大差ないように見えたが、国境から離れ、首都に近くなっているためか、セルテラと比べ整備が行き届いているように思える。真っ直ぐ伸びた舗道に、立ち並ぶ家々や商店。まだ、町は活気を残していた。
 マーズの言動に、不審を覚えながらも、ヴィンスターレルとミストは、セルテラの時と同じように、馬を歩かせながら、泊まれる場所を探し、辺りを見回す。
 それを黙って見ていたマーズが、静かに口を開いた。
「この先の道を東に向かった所に、中央議会から指定された宿があります」
「いえ、わたくしたちは……」
 マーズの言葉を遮って言うミストに、マーズは白い歯を見せて笑みを作る。
「――ただ、西へ行くと、私の知り合いの家があります。今日はそちらに泊めてもらいましょう。宿ほど豪華、という訳には参りませんが」
 その言葉に、ミストとヴィンスターレルは顔を見合わせる。
 単刀直入に聞いたのは、ヴィンスターレルの方だった。
「あんた……何を企んでいる」
 マーズは二人から目を逸らす。そして、まるで自問するかのように、言った。
「……企んでいると言われれば、そうなのかもしれません……だが、私は……私は何かを企めるほど、頭は良くない。ただの、馬鹿な男です……本当に、馬鹿な……」
 マーズの目は、またしてもリィクから渡されたコインに向けられていた。
 辺りの喧騒は、彼の存在すらも掻き消してしまいそうだった。

 もう闇は濃くなって来ている。
 マーズに何か思うところがあるのは確かなようだったが、彼の態度を見ていると、それがこちらに対する『企み』であると、ヴィンスターレルにはどうしても思えなかった。むしろ、マーズのしようとしていることは、彼自身の国への不利益になるようなことなのではないか、とすら感じられた。
 ヴィンスターレルがミストに意見を求めると、彼女は表情を変えず「参りましょう」と即答した。
 それで結局、マーズの言うまま、彼の『知り合い』の家へと向かうことが決まったのである。
 舗道の先を西へ逸れ、奥に進むと、極端に人の数が減った。
 商店などは姿を消し、辺りに並ぶ人家は明らかにみすぼらしいものへと変わって行く。恐らく、貧民街なのだろう。この寒空の中、ぼろぼろの毛布に包まりながら、道端に寝転んでいる者の姿もあった。下手をすれば凍死しかねない。
 ミストはそちらに向かおうとして、思い留まった。
 自分に何が出来るのか、分からなかったからだ。
 周囲に目を遣ると、あちらこちらに同じような者たちがいる。今、何かの施しをしたとして、それは彼らを救うのだろうか――一時的には救うかもしれない。ただ、いたずらに数人の者だけを助け、他の者は無視するのか。
 その後の人生を保証してやることも出来ない。全ての者に手を差し伸べることは出来ない――一時の自己満足で、果たして彼らの人生に干渉して良いのだろうか。一生向き合う覚悟すらないというのに。
 自分すら幸せにできない者が、自分の身近な者にすら手を差し伸べるのが難しい己に、何が出来るというのか。
 そもそも、幸せとは――幸せの定義とは何処にあるのか。
 そのような葛藤と、自身の無力さを噛み締めながら、ミストは馬を歩かせる。景色は流れて行く。
 時間は、世界は流れて行く。
 隣りを行くヴィンスターレルがこちらを見ていることが気配で分かったが、目を向ける勇気は、今のミストにはなかった。
 路地は、ほつれてしまった布地のように、入り組み、無造作に続いている。
 三人とも、何も喋らなかった。
 静まった町並みに、蹄の音が、不規則に響く。

「こちらです」
 どこをどう進んだのか解らなくなってきた頃、一軒の家の前で、マーズは馬を止めた。
 三人は、馬から降り、適当な場所に手綱を繋ぎとめると、その家の前へと歩みを進める。
 家は木造だったが、壁のあちこちはささくれ立ち、屋根の塗料も所々剥げているように見えた。窓から、家の中に明りが灯っているのが確認出来る。
 マーズはドアに近づくと、ノックをし、中に向かって声をかけた。
「……ニルザ、俺だ」
 暫しの間を置いてから、唐突にドアが勢いよく開く。それは間近に居たマーズに直撃した。派手な音があたりに響き渡る。
「――おぉ! ひっさしぶり! ディー、元気だった? ――ってあれ?」
 中から出て来た長身の人影が、扉の直撃を受けて呆然としているマーズに気づき、素っ頓狂な声を上げる。女性の声だった。
 ニルザと呼ばれた彼女の姿は、家の中から漏れる光に浮かぶ影のようだった。身体の線がはっきり分かる程にぴったりとした上下の服は黒ずくめで、髪も黒かったからだ。
「お前! 気配を消して、いきなり扉を開けるのはよせ!」
 周囲の家々に気を使ってなのか、小声での抗議をするマーズに、ニルザは鼻を鳴らすと、低いながらもよく通る声で切り返す。
「アタシの気配が読めないなんて、アンタも腕が落ちたね、ディー」
「普通に名を名乗って訪ねて来たんだから、気配を消す必要もないだろうが! それに、俺の名前はマーズだ。もうその名で呼ぶな!」
「ふふん……アンタは今じゃ国のお偉いさんだもんねぇ……で、そのお偉いさんが、こんな薄汚いところに何のご用かな?」
 その言葉に、マーズが口を開こうとするより前に、ニルザの目線は後ろで状況を見守っていた、ヴィンスターレルたちに向けられる。
「なるほど……何か、ワケありって感じだね」
「……まあ、そういう事だ。一晩泊めて欲しい」
「ワケありの場合には、ワケありの場所を使うってコトか……まぁいいけどね。そこのお二人さん、汚い所だけど、上がりなよ」
 ニルザの言葉に、ヴィンスターレルとミストは、黙って頷いた。

 家の中は一部屋しかなく、決して広いとはいえなかったが、綺麗に整頓されていた。質素なテーブルと、本棚、ベッドなどが品よく並んでいる。天上からはランプが吊るされ、暖炉には火がくべられていた。
「出せるもん、酒しかないんだけどさぁ、いい?」
 ニルザはそう言うと、皆の答えも待たずに、グラスに注がれた透明な液体を運んで来る。椅子は二つしかなかったので、ニルザとミストが対面する形で座り、後の二人はニルザの許しが出たので、部屋の奥にある小さなベッドに並んで腰を掛けた。
「じゃあ、何だかわかんないけど、乾杯!」
 またもや勝手に音頭をとったニルザの声に合わせ、全員がグラスを上に掲げる。酒は、割と上等な部類といえた。少し辛目の味が、喉に沁みる。
「……で? ディー。この別嬪さんと、いい男は、何の用でここに来たワケ?」
 マーズは何と答えていいのか分からず、目を天井へとむけ、小さく唸る。それを見たニルザは、軽く笑うと、こう言った。
「まぁ、いいや。ディーがここに連れて来たってコトは、話せない事情があるからだろうしね……それに、このお二人さんを信用してる――ということは」
「――やめろ!」
 嫌な予感に、慌てて上げたマーズの制止の声を無視し、ニルザは話を続ける。
「アタシたちね……深ぁい絆で結ばれた、深ぁい関係だったんだ」
 その言葉に、観念したかのように溜息をつくマーズ。
「またそうやって、誤解を招くような言い方を……」
「いいじゃん別に。実際そういったコトもあったわけだしさ。それに女は謎めいてた方が魅力的だし。この別嬪さんみたいに……って、そういえば、名前も聞いてなかったね。聞いたらまずい?」
 急に話を振られ、ミストは少し戸惑ったが、素直に自己紹介をした。ヴィンスターレルもそれに倣う。
「ふーん……アタシはニルザ、ってもう知ってるか。とりあえず、また会うかは分かんないけどよろしくね。んで、昔、コイツと組んで、盗賊やってたんだ。っていっても、一応義賊ね――って自分で言うのもなんだけど。その時のコイツの名前が『ディー』」
 そこまで一気に話したニルザの言葉を聞き、マーズはむせ返った。そのまま激しく咳き込む。ヴィンスターレルも内心今の話に驚いていたが、仕方がないのでマーズの背中を撫でてやった。
「盗賊――で、いらしたんですか?」
 ヴィンスターレルの代わりに、ミストが聞き返す。ミストも戸惑っていた。あの朴訥そうな大男が、以前、盗賊を生業としていたとは信じ難い。
「『いらした』なんて、お上品なもんでもないけどね。金持ちの家に盗みに入って、貧民街の連中に配ってただけ。アタシもコイツも貧民だったからね……もちろん、自分たちの取り分はきっちり取ったけど」
 その言葉を聞き、ミストの脳裏に一瞬、先ほどの光景がよぎった。それを急いで振り払うと、ミストはニルザに訊ねる。
「では……何故、マーズさんは中央議会の元に?」
 ニルザは切れ長の目を皮肉っぽく細めると、おどけた口調で答えた。
「コイツ、『こんなことしてたって、救えるのは一部の者だけだ。もっと多くの者を助けるには、中央に行くしかない!』とか言っちゃってさ、ちょうどその時、中央議会で傭兵を募ってたんだよ。コイツは剣の腕は立ったからね。それが、八年前」
「八年前といや……俺が傭兵に志願した頃と同じだな。アレスタンとメイドスの争いが一時的に激化したあたりだ」
 暫く黙っていたヴィンスターレルが口を開くと、ニルザはそちらを見、片眉だけを軽く上げた。
「ああ、アンタたち、やっぱりアレスタンのヒトか……まぁ、とにかく、アタシとコイツはそれっきり。時々はココに会いに来たけどね。今日だって三年ぶりくらいの、感動のご対面ってヤツさ。それに、実質はどうだい? 貧民は相変わらず貧民のまま。何も変わりゃしない。コイツはただ、中央議会の飼い犬になっただけ」
 棘を含んだニルザの言葉に、マーズは俯き、搾り出すように言う。
「それに関しては……返す言葉もない……」
 暫しの間、場を沈黙が支配した。揺れるランプの炎が、部屋の中に光と影を不規則に作り出している。
「恨んで……いらっしゃるのですか?」
 静寂を破ったのは、ミストの声だった。目は、手に持ったグラスに向けられている。それを聞き、ニルザは少し迷ってから、こう答えた。
「……コイツのコトでいいのかな? そうだね……恨んでいたよ。長年相棒だったアタシを簡単に見捨てて行って……今もそうなのかもしれない。でもね、仕方がないとは思う。アタシたちは別々の人間で、別々の考え方を持ってるんだから」
 どこか投げやりな口調のニルザを、今度は正面から見据えると、ミストは言った。
「……正直で、いらっしゃるんですね」
「嫌な女だと思う?」
「いいえ……羨ましいです」
 ミストは心からそう思った。偽りばかりを、どれが本心なのか分からない言葉ばかりを並べて生きてきた自分から見ると、ニルザの素直さが眩しい。
 ニルザはそんなミストを不思議そうに見ると、声を上げて笑った。
「『羨ましい』って、アンタ、面白いね。何だかアンタとは、いい友達になれそうな気がするよ」
「友達……?」
 ミストはその言葉に馴染めない。幼い頃は、そう呼べる存在はいたと思う。だが、あの時から、ミストの周囲には、ジェイムとアーシェしかいなくなった。二人の事は信頼していたが、『友達』と呼べる間柄ではない。
「……あ、アタシ、そろそろ仕事に行かなくちゃ」
 戸惑うミストを暫く見ていたニルザだったが、そう言うと、唐突に椅子から立ち上がる。ミストは我に返ると、静かに訊ねた。
「このような時間からですか?」
「そ。夜のお仕事」
 そういってニルザは悪戯っぽく笑う。
「……って言っても、娼婦じゃないからね。アタシ、ここらへんの酒場とかで、歌を歌ってんの。結構、評判いいんだよ」
「凄い。是非お聞きしたいです」
 ミストの上げた感嘆の声に、部屋の中を歩き回り、支度を整えながらニルザは言った。
「何をするんだかわかんないけどさ、上手く行ったら、ミストもアタシの歌、聞きに来てよね。それから、ヴィンスターレルも」
 ミストは笑顔で頷く。突然名前を呼ばれたヴィンスターレルも、慌てて頷いた。
 そのまま家を出て行こうとしたニルザだったが、ドアの前でふと足を止め、振り返る。
「……ディー。あの『箱』はないから、安心していいよ。アタシがこまめに調べてるから」
 声を掛けられ、マーズは、伏せていた顔を上げた。
「ああ……ありがとう」
「それから……アンタもアタシの歌、聞きに来るんだよ?」
「勿論だ」
 その答えに満足したのか、ニルザは笑みを見せる。マーズも笑顔でそれに応えた。
「アタシが帰って来るのは朝になると思うから。みんなごゆっくり!」
 三人に向かって手を振ると、ニルザは扉の向こうへ姿を消した。
 パタン、と軽く鳴ったドアの音が、部屋の中に響く。
 主を見送った家の中は、少しだけ寂しげになったように思えた。

 目次