朔月 1ニルザが家を出て行ってから暫くの間、誰も口を開かなかった。時折北風が、まるで中に入れて欲しいと訴えるかのように、窓を叩いては去って行く。薪のはぜる音が部屋にこだまする。 ヴィンスターレルも、ミストも、マーズが自ずから言葉を発するのを待っていた。 ミストは半分ほど中身の残ったグラスを、テーブルの上にそっと置くと、静かに立ち上がり、窓辺に歩み寄る。硝子越しに空を見上げてみると、数多の星々が煌めいている。月の姿は見えない。 「……今夜は、新月ですね」 ミストは、あるべきものがいなくなってしまったような寂寥感を感じた。 それと同時に、小さな不安も。 「……私は」 ミストが自分の内に持ち上がった不安に疑念を感じたその時、不意にマーズが口を開く。 ミストはゆっくりと振り向いた。マーズの隣りに居るヴィンスターレルも、じっと次の言葉を待っている。 「ニルザが言った通り、今の職に就くまでは、彼女と組んで盗賊をしていました。自分自身も貧しかったですし、貧しい者を少しでも救いたかった……例え、それが自己満足だとしても」 マーズは、空になったグラスを所在なげに手の中で弄りながら続ける。 「そして、それには限界があると、ある時感じました。それで、ちょうど傭兵の募集があった時に、中央に行く事を決意しました……もっと、多くの貧しい者、弱いものが救えると、そう考えて」 ヴィンスターレルも、ミストも、黙ってマーズの言葉に耳を傾けていた。 「しかし、現実はそうではなかった……相次ぐ戦争で、貧しい者、弱い者はさらに増え、そして追い詰められて行きました……」 そこでマーズは、胸から下げたコインを、空いた片手でそっと持ち上げた。そして長いため息をつく。 「これ以上……増やしてはいけない……」 マーズは、コインを見つめる。きっと彼の頭の中には、あの教会の子どもたちの姿が――リィクの姿が映っているのだろうと、ヴィンスターレルは思った。 「それに、おかしい……今までの戦争は――少なくとも、私が関わってきた戦いは、明らかにおかしい。戦争自体、愚かなことだとは思います。ですが……何かが狂っている。この意味は、同じく戦地にいた貴方になら分かりますよね? ヴィンスターレル殿」 「ああ」 ヴィンスターレルは、マーズに顔を向けられ、短く答えた。 あの、不自然な撤退命令。 「通行証を割ったのは、何故だ?」 ここに来て、ヴィンスターレルは初めて疑問の言葉を挟む。 マーズは、暫く迷うように目を泳がせてから、重い口を開いた。 「……私のように、中央議会の近くに仕える者は、何か任務がある際、必ず、中央議会から特別な通行証を渡されます」 「特別な通行証?」 今度はミストが、疑問を投げかけた。 「はい。今回のように、通常使われる木製のものではなく、金属製のものです。そして恐らくは――」 マーズはそこで一旦言葉を切り、再び溜息をつく。 「私たちを、監視するためのものでしょう」 ヴィンスターレルも、ミストも、何も言えずにいた。そのままマーズの次の言葉を待つ。 「……明確な証拠がある訳ではありません。ただ――ただ、中央議会は、私たちの行動を、常に正確に把握しておるのです。私たちが報告をする前から……そして、中央議会からの命で、俗に『箱』と呼ばれる金属製の四角い物体を、あちこちの場所に設置するための部隊も存在します。彼らがその目的を知らされているかどうかは、私には分かりません。私は以前から、これらのことをずっと不思議に思って来ました。そして、ある時立ち寄った古書店で、偶然、とある本を見つけました――『旧時代』の『科学』に関する本です」 そこまで一気に言い終えてから、マーズはグラスを床の上に置き、両手で顔を擦った。 「その本を読んだ時、私の抱えていた疑惑の答えが、そこにあると感じました。しかし、疑いを持ちながらも、今まで調べることは出来なかった……いや、しなかったのです。私は恐ろしかった……真実を知るのが――いや、単に職を失うのが怖かっただけかもしれない」 マーズは自嘲気味に笑ってから、話を続ける。 「今回、通行証を割ったのは――何故、今回に限り普通に使われているものが渡されたのかは分かりませんが、中に仕掛けがないかどうかを調べるためでした。そして、それはなかった。ただの通行証でした。それに、もう、こんなことは終わりにしたかった。リィクと約束しましたから……必ずこれを返すと」 マーズは、そこでもう一度コインをいとおしげに見た。そして、ヴィンスターレルとミストを交互に見遣る。 「何もお聞きにならないんですね。もしかしたら、お二人は、何かをご存知なのではないですか? ……今回の任務を受けてから、ずっと不思議でした。お二人が何故、和平協定が結ばれた直後に、賓客として、中央議会から招かれたのか」 問われた二人は、何も答えなかった。 ミストはもう一度、窓の外に目を遣る。やはり、月は姿を隠したままだ。 暫く、重い沈黙があたりを支配した。 そして、ミストは長い息を吐き、振り向くと、ヴィンスターレルを見た。 彼は、それを受け、静かに頷く。 ミストは窓から離れると、椅子を引き寄せ、マーズに対面するように腰掛けた。 そして、話し始める。 『幻影師』の一族のこと。『予見』により、ヴィンスターレルと出会ったこと。アレスタン国王の暗殺のこと。そして、二人のセイノールのこと。 マーズは、あまりの話の展開についていけず、疑問を口にする余裕もないようだった。ただ、驚きの表情を浮かべたまま、黙ってミストの話に聞き入っている。 そして、話が終わると、自分の中で整理をつける為か、立ち上がり、部屋の中を歩き回った。 やがて彼は、またベッドの所まで戻ると、腰を勢い良く下ろし、しきりに両手で頭を掻きむしる。やはり、話を消化する事は中々出来ないようだ。 「……その話は本当なのですか?」 ヴィンスターレルとミストの間に幾度も視線を彷徨わせながら、マーズがやっと発することが出来た言葉は、それだけだった。 「ええ」 ミストは静かに答える。 「とても、信じられません……そんな事が起こっていたなんて……では、現在の中央議会は、その子どもたちが動かしていると?」 「はい。その可能性は非常に高いでしょう」 すっかり動揺しきっているマーズに、ミストは微動だにせず、そう言った。そこで突然彼女の中に、疑問がわき上がる。 ミストは、その疑問を、マーズにぶつけてみた。 「中央議会は、もしかすると、世襲制ではないでしょうか?」 唐突に投げかけられた問いに、マーズは混乱したままで答える。 「――え? ……は、はい。そうですが……」 「それは、共和国になってすぐのことでしょうか?それとも、途中からそうなったのですか?」 マーズは暫しの間、顎に手を当て、思案した。ミストから逆に質問されることで、少しずつ落ち着きを取り戻して来たように見える。 「ええと……私も詳しいことは分かりませんが、昔は投票制だったようです。世襲制になったのは……確か、百年ほど前ではなかったかと……」 「百年前……」 何かが引っかかる。 百年前から始まった、世襲制の中央議会。 百年前。 (――!?) フローティアとリメイニの一族の、力の封印。 それに反発した、セイノール一族。 『もういらないから、殺しちゃった』 「ヴィン」 突然ミストに声を掛けられ、それまで黙っていたヴィンスターレルは、弾かれたように顔を上げる。 「……どうした?」 「わたくしは以前、陛下の感情が『見えない』とお話ししましたね?」 「ああ、そう聞いたが」 ミストの様子に、怪訝そうな表情を浮かべながらも、ヴィンスターレルは、はっきりと答えた。マーズはどうしていいか分からずに、ただ二人を交互に見比べている。 「これは、わたくしの推測にしか過ぎません……ただ、こう考えると、筋が通ります」 「何のことだ?」 ミストは息を大きく吸ってから、ゆっくりと、噛み締めるように言葉を発した。 「恐らく陛下は……いえ、それ以前からかもしれません。アレスタン王国国王は――セイノールの一族の者とすり替えられていたのです」 刹那、沈黙が場を支配した。ヴィンスターレルもマーズも、彼女の言葉の意味をつかみかねている。 「……何で、そうなるんだ?」 困惑を隠せない表情を浮かべ、酒で渇いた喉を潤してから、ヴィンスターレルが口を開いた。ミストは軽く息を吐き、こう答える。 「『幻影師』の一族の交流が断たれたのは、百年ほど前のことだと聞いています――つまり、フローティアとリメイニはそれぞれの手法で力を『封印』し、セイノールはそれに反対をした……そして、メイドスの中央議会が世襲制になったのは、同じく百年ほど前。そして、現在は恐らく、セイノールの一族が実権を握っている……」 「だからって……」 口を挟みかけたヴィンスターレルを目で制し、ミストは続ける。 「わたくしとヴィンが陛下殺害の現場に居合わせた時、あの子たちは『遺産』を利用した『幻影』で、わたくしたちと接触を図りました。あれだけ大掛かりな仕掛けは、一昼夜で出来るものではありません。しかも、確実に内部の者の手助けが必要になります。それも、陛下の私室に簡単に出入り出来るような立場にある者が。『カーゴ』の入り口が簡単に封鎖出来たのも、同じことだと考えられます。そもそも、何故、わたくしたちが陛下に招かれた、あの日に、殺害が行なわれたのでしょう? 偶然でしょうか? あの子――サリュートアは、『ゲーム』と言っていました。まるで、わたくしたちがあの時間、あの場に辿り着くのを予測していたかのように……それは、『予測していた』のではなく、『知っていた』のではないでしょうか?」 ヴィンスターレルは、腕を組み、考え込むように目を閉じた。マーズは口を出すことも出来ずに、ただ黙って事の成り行きを見守っている。 「そして」 ミストは再び窓の外に目を向けると、話を続けた。 「アストリアーデは、『もういらないから、殺しちゃった』と言いました。この言葉は、自身の操作の範囲内にあるものに対して使う言葉ではないでしょうか?」 再びの沈黙。 最初に発言したのは、ヴィンスターレルだった。 「……ううん、『いらない』って言葉は、多少不自然だが、敵に対してでも使えるとは思うんだがなぁ……言い間違いってこともありえるだろうし……ただ、確かにあの状況は、ミストの言う通りだとは思う。仕掛けとかのことは、俺には分かんねぇけど、それだけ大掛かりなものなら、内部に人材が必要なんだろうな……それに、俺の知ってる限りじゃ、アレスタンは、ほとんど三大臣が動かしてるようなもんだ。国王は、ほとんど私室から出てこねぇ。そして、私室の鍵を持ってるのは、王と、お前が『術』を掛けたダーゼンだけだ。あいつは腹黒い奴だが、そういった計画には不向きだ。切れ者の息子もついてることだしな。それに、ダーゼンの感情は『見えた』んだろ?」 その言葉に、ミストは振り返り、頷く。 「まぁ、合い鍵なんかを作られたり、こっそり忍び込まれてれば可能になっちまうわけだが……国王は、本当に私室から滅多に出てこなかったからなぁ……どっちにしても国王自身が絡んでねぇと、難しいと思う」 アレスタン十四世は、変わり者で有名であった。享年三十八、という事になるのだが、何度縁談が持ち込まれても断わり、妃をとる事もしなかった為、後継者問題も取りざたされていた。かといって、娼婦を囲うこともなく、また、男が出入りするようなこともなかった。式典や公務で顔を出すことを除けば、外部との関係は、ほとんど遮断されていたといっても良い。 もしそれが、彼が殺されるのも含め、あらかじめ決められていたことだとしたら。 「しかし……やっぱ、分かんねぇ……国王がセイノールの一族の奴だとして、自分が殺されるのを知ってて、そんな計画に加担してたんだろうか?」 ヴィンスターレルは少なくとも知っている。任務の為なら、自身の死すら厭わない者たちのことを。 だが――あの恐怖に歪んだ顔。 「恐らく、知らなかったのではないかと思います。あの時に命を絶つ必要があるのなら、自殺でも良かったはずです」 ミストも、ヴィンスターレルと同じ情景を思い起こしていた。親指で唇を幾度も撫でる。そうすると、心が落ち着くような気がする。 「あの……」 そこで、今まで黙していたマーズが、おずおずと口を開いた。視線が彼の元へと集まる。 「それなら、私たちが戦っていた……戦わされていた意味は何だったのでしょうか? その、セイノールという輩が、両国を支配下に置いているのだったら、戦争をする意味などないではないですか」 その言葉に、ヴィンスターレルは小さく唸りながら腕を組み変える。ミストは僅かに目を伏せ、逡巡した後、答えた。 「それを、続けていた理由は分かりません。ただ……戦争をしていた理由なら、分かるような気がします。『中空の平原』の所有を巡って争っているように見せかけるため……『中空の平原』に人を寄せつけないためではないかと……」 「どういうことだ?」 「どういうことです?」 ヴィンスターレルとマーズの発した疑問の言葉が重なり、二人は思わず顔を見合わせる。 「わたくしの祖母が、よく言っていました。『中空の平原』を守らなくてはいけない。そして、テラ・パトリシュアを目覚めさせてはいけない、と」 直接二人の疑問には答えず、ミストは遠い目をして言った。 ヴィンスターレルとマーズの困惑は、ますます深まる一方だった。そして、ヴィンスターレルは別の意味でも戸惑っていた。今までミストが、自身の家族の話をしたことがなかったからだ。 「……なんで、そこでテラ・パトリシュアの名前が出てくる? 『中空の平原』と何の関わりがあるってんだ?」 再び発したヴィンスターレルの問いにも、ミストは答えない。ただ、何かを考え込むように、目を閉じている。 そして突然、歌うように言葉を紡ぎ始めた。 「天の神々は、人々を救っては下さらなかった。そこで、我らの母は嘆き哀しみ、その大いなる慈悲を持って、天の神々に訴えかけて下さった」 「……なんだそりゃ?」 「『大地書』の一節ですね」 訳がわからず声を発したヴィンスターレルに、答えたのはマーズだった。 「『大地書』って、テラ・パトリシュア教の?」 「そうです」 『大地書』――テラ・パトリシュア教の創始者たちが書き記したといわれる、教義の中枢をなす書物である。 「あんた、詳しいんだな……って、俺が知らなさ過ぎんのか。本は好きだったが、宗教関係の本はまともに読んだことがねぇからなぁ」 「私は、幼い頃、教会にやっかいになってたもんで」 二人が会話している間にも、ミストはまるで舞台女優のように部屋の中をゆっくりと歩き回りながら、言葉を続けている。 「おお! あの光を見よ! 大地から放たれる大いなる光を! 我らの母の慈しみの光を! 天の神々を凌駕するほどの眩い光を! ……やがて、天の神々はお隠れになり、黒い涙を流された。我らの母が我らを救ってくださったのだ!」 「暗雲立ち込め、世界は闇に閉ざされた。母とともにあらぬ者は物言わぬ骸となり、大地を覆い尽くした。だが我らの偉大なる母を崇めるものは、その寵愛に与り、素晴らしき光とともに歩み始めた。骸となった不敬の者たちも、寛大なる母の愛によって、母の御許、大地へと還ってゆく」 「天の神々と、我らが母の聖なる戦は、三日三晩を費やした。母のお体も焼け爛れ、我々の為に苦しんで下さった。だが、我らが母は、その大いなる力によって、勝利を収めたのだ」 やがて、ミストは深く溜息をつくと、歩き回るのをやめ、椅子に腰掛けた。 「……以上は、それぞれ『創始記』、『メザの記』、『トウドの手記』、『聖戦記』からの抜粋です……いかがですか?」 その言葉に、再び、ヴィンスターレルとマーズは顔を見合わせる。ヴィンスターレルが、代表するかのように、口を開いた。 「いや……『いかがですか?』って言われても……なぁ?」 同意を求めてマーズに視線を送ると、彼も黙って頷く。 ミストは一旦目を伏せてから、また口を開く。 「『大地書』は、実際に起こった事を述べているのではないかと、わたくしは思います。内容的に、テラ・パトリシュア側に立ったものにはなっていますし、捏造された部分がないとは言えなくもありませんが……」 「ただの、教典ではないと?」 マーズの問いに、ミストはゆっくりと首を縦に振る。 「『大地書』には、今、お話しした部分以外にも、似たような内容は沢山出てきます。勿論、教義的な部分も多く含まれてはいるのですが……そして、わたくしの祖母の話、これらを統合して導き出されるのは……」 そこでミストは、言葉を切った。 緊張感が、辺りに充満する。 「テラ・パトリシュアは、『旧時代』に生み出された、兵器ではないかということです――世界を滅ぼせるだけの力を持った」 ミストがその言葉を言い終えた途端、ヴィンスターレルは思わず吹き出した。マーズは、隣りで口を開けたまま、固まっている。 「――お前、冗談だろ!? いくら何でも――」 そこで、ヴィンスターレルは二の句が継げなくなった。 ミストの目が、真剣そのものだったからだ。 再び充満する、緊張感。 それを破ったのは、ミストだった。表情は、硬い。 「確かに、これは、全てわたくしの推測にしか過ぎません。確たる証拠は、どこにも無いのですから」 そして、また椅子から立ち上がると、窓辺に歩み寄る。 「全ては、行けば解ることです」 「ま、まぁ、そうだな……」 気が抜けたように言う、ヴィンスターレル。 「今夜は、新月ですね」 ミストは、再び、その言葉を口にした。 「マーズさん」 「……は、はい?」 不意に名前を呼ばれ、マーズは間の抜けた返事をする。 「ここから、首都までは、どのくらいかかりますか?」 ミストの問いに、暫し考え込んでから、マーズは答えた。 「そうですね……大体一月、という所でしょうか。ちょうど『千年祭』の前祭あたりになるかと」 テラ・パトリシュアは、新月の夜に目覚めると伝えられている。そして、『千年祭』は大掛かりなものになる為、当日までの三日間は『前祭』、当日より後の三日間は『後祭』として、計七日間を通して祝われる事になっていた。 それを聞き、ミストは外を見たまま深い溜め息をついた。 「これが、わたくしに与えられた、役割なのですね……」 独白のようなミストの言葉に、答えられる者はいなかった。 |