朔月 2ベッドは一つしかなかったので、ミストをそれに寝かせ、ヴィンスターレルとマーズは床に寝ることにした。余分にあった毛布を借り、身体の上に掛ける。時間は過ぎていくが、誰も寝付けずにいた。それぞれが、交互に寝返りを打つ。誰のものとも分からなくなった溜め息が、耳へと頻繁に届けられる。 「――あぁっ!」 突然、マーズが堪えられなくなったように身を起こした。他の二人も、つられて起き上がる。 「お二人とも、どうせ寝られないのなら、今夜は飲み明かしましょう!」 ヴィンスターレルもミストも、唐突な提案に苦笑しながら、それでも頷いた。 マーズが部屋を漁り、沢山の酒を集めて来る。ニルザは相当酒好きのようで、数もさることながら、種類も多岐に渡っていた。 それぞれのグラスに酒を注ぎ合いながら、他愛のない話をする。 そうして、ささやかな宴は過ぎて行った。 「――アンタたち!」 大声が、上から降ってくる。 ヴィンスターレルは、ゆっくり身体を起こした。いつの間にか眠っていたらしい。既に日は昇り、窓からは明るい陽射しが差し込んでいた。 身体を動かすと、鈍い痛みが頭に走る。どうやら飲みすぎてしまったようだ。 目だけを上に向けると、そこには怒りに満ちた表情のニルザが、腰に手を当て、立っていた。隣りを見ると、マーズも顔を顰め、低く唸りながら、身を起こしている。 「アタシの! 大事な! 秘蔵の! 酒たちを! あんなに! あっさり! 飲みやがってぇ!」 一言一言を、わざわざ区切るように、大声で言うニルザに、ヴィンスターレルとマーズは、口の中でくぐもった悲鳴を上げた。声が杭のように、頭の芯まで打ち込まれる。 「特に、ディー! アンタは、飲んでいい酒とダメな酒は知ってるだろ! ふ、ざ、け、る、な!」 今度はマーズの耳を引っ張りながら、口を近づけて叫ぶニルザ。マーズはそのまま床に突っ伏し、泣きそうな顔で懇願した。 「……悪かった……悪かったから……今度、新しい酒を……集めて……来るから……」 「そ。じゃあ許したげる」 その言葉で、ニルザはマーズの耳を離し、あっさりと引き下がる。彼女は、そのままベッドの上に腰掛けているミストの横まで行くと、打って変わって優しげな声音で語りかけた。 「ミスト、大変だったでしょ? こんなバカどもに付き合わされて。片づけまでしてくれて、ありがとね」 どうやらニルザの言う『バカども』には、自分も含まれているらしい。ヴィンスターレルは、そのような事を朦朧とした頭で考えながら、辺りを見回す。昨夜、部屋に散乱していた酒瓶や、グラスは綺麗に片付けられていた。ニルザの言葉からすると、ミストが先に起きて片付けたのだろうが―― 「いいえ。わたくしは、お酒は嗜む程度ですが、とても楽しかったです」 (……嘘つけ) ヴィンスターレルは、ミストと酒を一緒に飲むのは初めてだったが、少なくとも、彼女は二人と同じくらいの速度でグラスを空けていた。それはかなりの量に上っているはずだ。しかし彼女は、二日酔いで苦しむ自分たちとは対照的に、普段と全く変わらないように見える。それは、得意としている演技の賜物、という訳ではなさそうだ。 (こいつ……化物だ……) 痛むこめかみを押さえながら、ヴィンスターレルは深く溜め息をついた。 ニルザが用意してくれたので、三人は少し遅めの朝食を摂った。 三人分しか用意されていなかったため、ミストが、ニルザにも食べないのかと訊ねた所、「アタシは勤め先でご馳走になったから要らない」との返事が返って来たので、三人は遠慮なく頂くことにする。 それは、野菜のスープとパンだけの、質素なものだったが、味は悪くない。何より、二日酔いの身体には、かえって有り難かった。 ヴィンスターレルがスープを口にしながら、横目で窺うと、ミストは上品な仕草でパンとスープを平然と食べている。一方、目線を移した先には、蒼い顔をして、スープだけをちびちびと啜っているマーズの姿があった。どうやら、彼の二日酔いは相当重症らしい。 陽が中天に差し掛かろうかという頃になり、三人はニルザに見送られながら、イルの町を後にした。馬の振動が、頭の奥に響く。その度に、ヴィンスターレルは眉を顰めた。前を行くマーズはというと、馬上でうなだれていて、先ほどから一言も発しない。 「おい……マーズ、大丈夫か?」 ヴィンスターレルが思わず声を掛けると、マーズは首だけをこちらに向け、何ともいえない奇妙な表情を作る。多分、無理に笑顔を見せようとしたのだろう、とヴィンスターレルは思った。 「……はい……大丈夫……です……そういえば……初めて、名前で……呼んでくれました……ね……」 そう言われ、ヴィンスターレルは、そのことに初めて気づく。そして、何となく気恥ずかしくなり、マーズから目を逸らした。すると、ミストと視線が合ってしまう。彼女は笑いを噛み殺しているようだった。 「――それにしても、なぁにが『わたくしは、お酒は嗜む程度ですが』だ! この大酒飲みが!」 ミストの表情に、かすかな怒りが込み上げてきて、ヴィンスターレルはつい、毒づいてしまう。 「あら。わたくしの中では、あれは『嗜む程度』に入るんですよ」 ミストに切り返され、ヴィンスターレルは黙るしか無くなってしまった。 そして、三人は向かう。 首都サウザドークへと。 降りしきる雨に晒されながら、一行は首都を覆う隔壁を見ていた。 イルを経ってから一月ほど。 ちょうど、明日の晩が『千年祭』の当日だった。 あれからも三人は、中央議会から指定された宿に寄ることはせず、全て手近で見つけた安宿に、泊まり続けて来た。その間、テラ・パトリシュアや、セイノールのことなどについても、一切話題に上ることはなかった。 「……何か、私に出来ることはありませんか?」 赤い髪の先から水を滴らせたマーズが、前方を向いたまま、問い掛ける。 「ただ、祈っていて下さい」 雨よけの為、フードで顔を覆ったミストが、静かに答えた。 「でも……」 「祈ることは、時に何よりも大きな力になるものですよ」 それを聞き、マーズはまだ何か言いたげにしていたが、それを振り払うように首を振ると、後ろを振り向いて、頷いた。彼の愛馬も、それに合わせるかのように、身体を震わせ、水滴をあたりに撒き散らす。 「――では、参りましょうか!」 ぬかるんだ大地に、蹄の跡が点々と続く。 『前祭』の最中の首都サウザドークは、雨の中でも活気に満ちていた。 色とりどりの傘を差し、行き交う人々。飛び交う声。上から青、緑、茶色の三色に塗り分けられた布地に、白く浮かび上がるテラ・パトリシュアが描かれた旗が、あちらこちらに掲げられ、テラ・パトリシュアの小さな像も立ち並ぶ。 主要な建築物以外は、木造の家が多いアレスタンに比べ、メイドスの建物は、ほとんどが石造りのようだった。これも、メイドスが工業国である所以かもしれない。 隔壁の門から真っ直ぐ伸びた大通りの左右には、多くの商店や、飲食店、宿などがひしめき合っていた。ただ、雑多な感じは全くなく、綺麗に整備されていて、洗練された印象を受ける。 通りには、ニンガ国の商人らしき者も多く見受けられた。メイドスとニンガは、南北に陸続きで隣り合っているからであろう。 アレスタンの場合は、メイドスとニンガの国境付近も含め、東西に走るゴース山脈、そこから南に流れ出るグルド大河が存在するため、中々陸路を通る商人はいない。その代わり、大河を船で渡って来る。旅人や、芸人なども、ニンガとアレスタン間の、定期便を利用することが多い。そうでないと、山脈を越えるか、メイドスを通らない限り、アレスタンへは入れないからだ。 アレスタンは、リドス大陸の東端に孤立しており、ニンガは中立国のため、敵対する可能性のある国は、メイドス以外にはない。 対して、メイドス側は、エクメア公国が西側に隣接していた。一触即発状態というほどではないが、あまり友好的ともいえない関係のため、そちら側にも軍備を割いている。 軍事力ではアレスタンを凌ぐメイドスだが、長年拮抗した関係が保たれていたのは、アレスタンばかりに軍を向かわせれば、その間にエクメアに攻め入られる可能性があるからだといわれて来た。 (すげぇ街だ……) 勿論、メイドスの首都に、ヴィンスターレルは来たことなどない。だが、この整った街並みを見ていると、メイドスの力の大きさを実感出来るような気がした。 喧騒をかき分け、三人は先へと進む。馬は、途中で預けて来た。この人込みでは、乗馬して進む事が不可能だからだ。『千年祭』の前後は、馬車も通らなくなるようだった。 どれくらい歩いただろうか。 天候が悪いため、分かりづらくはあるが、首都に入った頃合からみて、もう夕刻は過ぎているだろう。あたりの活気は、一向に衰えない。それどころか、宵に向かい、一層増しているように思える。 ヴィンスターレルは何気なく、空を見上げてみた。放射状に広がり、落ちてくる雨の流れの中心に、吸い込まれそうな錯覚に陥る。 これは、天の流す涙だろうか。 明日は新月。 ただ、厚い雲に覆われ、その影すら見えない。 「見えてきましたよ!」 マーズが周囲の喧騒に負けないような大声を上げる。 彼は、首都に入ってからというもの、出会った頃と同じように、声を張り上げるようになった。もしかしたら、これは彼なりの『演技』なのではないかと、ヴィンスターレルは思う。 本当の自分を隠すための。 誰しも、必ず『演技』はしている。人生という舞台の中で。 自分も、何かしら演じているのだろうか。そんなことをヴィンスターレルは考える。そして、自分に割り振られた『役割』は一体何なのであろうかと。 「ヴィン」 ミストに呼びかけられ、ヴィンスターレルは思考の中から抜け出した。そして、前方を見遣る。 そこには、灰色の石で覆われた、巨大な建造物が聳え立っていた。四角い箱のような、奇妙な建物。幾つもの窓が、無機質な表面に点々と張り付いている。 ――メイドス共和国、中央議会本部。 三人は、いつの間にか立ち止まり、その箱を見つめていたが、誰からともなく、そちらへ向かい、歩き出した。 |