千年祭入り口の衛兵に、マーズが声をかけ、通行の許可を得てから、建物の内部へと足を踏み入れる。ミストとヴィンスターレルも後に続いた。四角く切り取られた、巨大な空間。壁も、床も、鈍い光沢を放つ灰色の石で成り立っていた。入り口から向かって正面に、これも石造りのカウンターのようなものがあり、茶色い長髪を後ろで結い上げた長身の女性が向こう側に立っている。マーズは、足取りを緩めずにそちらへと向かう。 「これはレンドル様、お帰りなさいませ。ご公務、お疲れ様でした」 女性は、マーズに向かい、深々と頭を下げた。 マーズは黙ったまま軽く頷いた後、女性へと声をかける。 「ああ、タチアナ。実は通行証を誤って壊してしまってなぁ……これなんだが」 そう言って、懐から、自ら割った木製の通行証を出してみせる。タチアナと呼ばれた女性は、恭しい態度でそれを受け取ると、口を開いた。 「左様ですか……でも、代わりはありますのでご心配なく。それでは、これを」 タチアナは、一旦腰を屈めると、カウンターの陰から、何かを取り出し、マーズへと渡した。 鈍色に光る、金属製のもの――板のような形状で、長い鎖が取り付けられている。 「アレスタン王国からのお客様にはお渡ししないで良いと、仰せつかっておりますので、レンドル様の分だけになります」 タチアナに渡された、金属製のプレートを首にかけたマーズは、複雑そうな表情で、ヴィンスターレルとミストを見る。それを受けて二人は、静かに頷いた。恐らく、あれが彼の言っていた『特別な通行証』なのだろう。 マーズは小さく肩を竦めると、気を取り直し、大声で言った。 「お二方、お待たせ致しました! こちらです!」 幾度角を曲がっただろう。 どこを見ても代わり映えのしない灰色の廊下を、マーズについて歩きながら、ヴィンスターレルとミストは、周囲に注意を払うことを怠らない。 しかし、時々文官と思われる者や、兵士と思われる者とすれ違うだけで、特に何事かが起こる気配もなかった。出会う者たちは皆、こちらへと頭を下げ、去っていく。 (マーズって、やっぱ偉い奴なんだな……) 中央議会直々の命を受けるくらいなのだから、当たり前のことではあるのだが、ヴィンスターレルには、いまいち実感が湧かない。 何度か通った窓のある空間が、まるで外の世界とここを繋いでいる唯一の手掛かりのような気がして、ヴィンスターレルはいちいち外の光景を確かめてしまう。 雨足は強さを増し、硝子を不規則に叩いては去っていった。 やがて。 道の幅が急に広くなり、足元に敷き詰められた絨毯も、明らかに高級なものへと変わってくる。 「フローティア殿、サーバ殿、六議員の方々の執務室はもうすぐです」 マーズの別の一面を知ってしまった二人にとっては、芝居がかっているとしか思えない、彼の大声が辺りに響く。ヴィンスターレルは大げさに顔をしかめ、ミストは平然と微笑んで見せた。 そして。 また数回角を曲がった後。 毛足の長い、真紅の絨毯の伸びる先に、銀色の装飾が至る所に施された、木製の大仰な扉があった。驚いたことに、扉を守る衛兵などはいない。ヴィンスターレルは横目でマーズの顔を窺ったが、彼は特に変わった表情は見せていなかった。 「兵士などは、置いていないのか?」 思わず問いかけたヴィンスターレルに、マーズは笑顔で答える。 「いやぁ、六議員の方々が、『そのような物騒なものは要らない』と仰るものですから……それに、この中央議会本部は、まるで迷路のようでしょう? ここまで辿り着く前に、誰かに見咎められてしまいます」 それを聞いて、ヴィンスターレルは察した。 恐らく、本当に必要がないのだろう。もしくは、出来るだけ誰も近づけたくないのかもしれない。 きっと、ここに居るのは―― マーズは扉の前に立つと、傍に設えてある、二頭の豹が向かい合う形に作られたノッカーを手に取り、数度、鳴らした。そうしてから、返事も待たず、「失礼致します」と大声で告げてから、両開きのドアを開け、中へと進んだ。どうやら鍵などは掛かっていないようだ。ヴィンスターレルとミストも、後に続く。 扉の向こうは、待合室のようになっていた。長方形の空間に、豪奢な硝子製のテーブルと、金の細工に縁取られた、紅い革張りの椅子が何組か並んでいる。 その一番奥には、先ほどよりも小さく、質素なつくりの扉があった。 マーズは迷わずに、そこを目指す。 そして、ドアの前で片膝をつくと、恭しく言葉を発した。 「マーズ・レンドル、アレスタン王国よりお客様をお迎えし、只今戻りました」 「結構時間がかかりましたね」 甲高く厳しい口調の男性の声。 「まぁまぁ、エルド議員。そういわなくても……レンドルさん、ご苦労様でした」 それを諭すしわがれた女性の声。 「そうですな。『千年祭』にも間に合ったことですし」 野太い男性の声。 「とりあえずぅ、お客さまをお迎えしませんかぁ」 舌足らずな女性の声―― マーズは、その一つ一つに、畏まって返答をしていた。 ヴィンスターレルとミストは、違和感を感じ、マーズの表情を確認する。道中で六議員に対し、不信感を持ったのは確かだとは思うが、それぞれに応対するマーズの言動は、演技には見えなかった。二人の視線は、マーズの顔から、胸元へと移る。 受付で渡された金属製のプレート。 きっとこれが、彼に何らかの作用を及ぼしているのだろう。 声音は変えているが、ミストの足元にも及ばないほど稚拙で、そして笑いさえ含んでいるような言葉のやり取り。 部屋の中には――二人しかいない。 部屋の主たちに下がってよいと言われ、マーズは閉じたままの扉に向かって礼をし、そして、ヴィンスターレルとミストにも深々と頭を下げると、一度も振り返らずに、その場を後にした。 暫しの間、二人は彼の後姿を見送り、扉へと向き直る。 「開いてるから、どうぞ」 まるでその声に導かれるように、ヴィンスターレルが取っ手を握った。 その先には、少年と少女――サリュートアとアストリアーデが、簡素なつくりの黒い椅子に、優雅に腰をかけ、微笑んでいる姿があった。そして、傍らには美しき漆黒の豹と深紅の豹。恐らく、この二頭が彼らセイノールを守護する者なのだろう。ケインの様子をそっと窺うと、いつも飄々としている彼は、牙を剥き出し、敵意を露にしていた。 次に周囲を見回してみる。その光景は圧巻、としかいいようがなかった。 壁一面に、何十枚も貼り付けられている硝子で出来たような薄い板。それぞれが、違う場所を映し出し、動いている。中には、ヴィンスターレルの良く見知っているアレスタン城の内部、外壁なども映っている。アレスタンとメイドスの国境付近を映し出しているものもあった。 ヴィンスターレルは、その光景に圧倒されそうになりながらも、必死で平静を保とうと努力する。 ここでは、動揺することが命取りになりかねない。 いや、常に戦いの最中にあってはそうだった。 これから始まるのは、戦いなのだ。 「まあ、とりあえず掛けて。お飲み物などご用意できず、申し訳ありませんが」 おどけたように言うサリュートアの声に従い、警戒しながらも、ヴィンスターレルとミストは円形状になった大きなテーブルをぐるりと囲む椅子のひとつにそれぞれ、腰を掛けた。ちょうど、セイノールの二人に対峙するような形になる。これで、空いた席は二つになった。 椅子の感触は、冷たく、固い。テーブルも椅子も、今までの豪華な道筋が嘘だったかのように、非常に簡素な印象を受けた。 「あたしたちはね、全ての記憶を持ってるんだよ」 アストリアーデが口火を切った。 (『全ての記憶』……?) ヴィンスターレルには、話の内容が全く飲み込めない。 だが、あえて反応はしなかった。すると、サリュートアが、言葉を引き継ぐ。 「訳が分からないって顔をしてるね……特に、『青い狼』さん。僕たちは、ゲイシュから連なる、セイノール一族の、それぞれの人間の記憶を、全て持っているんだ。それが、『封印』されていない一族の特徴」 そう言ってサリュートアは、ミストへと顔を向ける。 ヴィンスターレルもちらりと横を見たが、彼女は微笑みを顔に貼り付けたままだった。元々知っていたことなのか、それとも、わざと表情を作っているのか、ヴィンスターレルには判別できない。 それにしても、にわかには信じ固い話だった。 人間の記憶力には限界がある。だが、目の前の二人は、これまでの一族の全ての記憶を保有しているという。 そのようなことが可能なのだろうか。 「『千年祭』の終わりに、この世界は滅びる」 サリュートアは、まるで天気の話でもするかのように、さらりとその言葉を口にした。 「滅びる……?」 ヴィンスターレルは、思わず、そう繰り返してしまう。 「このまま行けば、だけどね。『テラ・パトリシュア』は、そうするようにプログラムされている。けれど、セイノール、フローティア、リメイニの直系が集まれば、それは回避される――というよりは、『テラ・パトリシュア』を、制御することが可能になる」 (プログラム? 一体何のことだ……?) 聞き慣れない言葉と、世迷い言のようにしか思えないサリュートアの言葉に、ヴィンスターレルの思考は混乱する一方だった。 「アレスタン国王を摩り替えたのも、セイノール一族がメイドスに介入し始めたのも、百年前からですね? ――そして、『千年祭』を目前に、必要なくなった国王を殺害した」 それまで黙っていたミストが、突然口を開いた。 「あ、お姉さんには分かってるんだね。当たりだよ〜!」 アストリアーデが、手をぱたぱたと動かしながら答える。 「何故だ」 そこで、ヴィンスターレルは黙っていられなくなり、重い口を開く。 「それなら何故、アレスタンとメイドスは、戦い続けてきた」 既に、百年も前に、アレスタンにセイノール一族が入り込んでいたのなら、それ以降の戦争は、ただ無駄だったとしか思えない。 「最初は、見せかけだったみたいだよ。『中空の平原』を巡って争っていると思わせるため。その他の利益も、だけどね。それに、戦乱の最中の方が、色々と実験も行える」 サリュートアの発した『実験』という言葉に、ミストの表情がわずかに曇った。 「まあ、それは僕ら以前のセイノールたちが決めたこと。僕たちに『力』が受け継がれてからも、周囲がうるさかったけどね。色んなことで意見は分散するし、一族の中でも対立が多かった。あまりにもうるさいから、みんな殺しちゃったけど」 あまりにも自然に紡ぎ出された言葉に、ヴィンスターレルもミストも、反応が出来なかった。 この子供たちが、自分の一族をも皆殺しにしたというのか。 その中には、自身の親も含まれていただろうに。 「僕たちに実権が完全に移ったのは三年前。その後の戦争は、ただの遊びだよ」 サリュートアの琥珀の瞳が、侮蔑を込めるかのように細くなった。 それを聞き、ヴィンスターレルの血液が頭へと一瞬にして昇る。 「――ふざけるな! ただの遊びだと!?」 「ヴィン、駄目です!」 ミストの叱咤の声が飛ぶ。 だが。 怒りの感情は、ヴィンスターレルに隙を作った。 (何……だ?) 目の前が真紅に染まる。 血。 仲間たちが吹き上げた紅。 酒を酌み交わして笑った。 首が。 鮮血を、吹き上げて。 紅。 炎。 助けてやれなかった。 見てるだけだった。 嗚呼。 どうしてこんなに。 目の前が、紅く染まっているのだろう。 「ヴィン! 気をしっかり持ちなさい!」 ミストの声が遠くで聴こえる。 どうして、そんなに必死になっているんだろう。 自分が、怒らせたのだろうか。 自分が、全て悪いのだろうか。 自分は、何もできない。 「もう、ゆっくり眠りたいでしょう?」 嗚呼、そうだ。 これは誰の声だろう。 でも、ぐっすりと眠りたい。 もう、疲れた。 「ヴィン! ヴィンスターレル! 目覚めなさい!」 嗚呼。 これで全て、終わりに出来る。 ヴィンスターレルの目の前が、暗転した。 ヴィンスターレルに対し、必死で声を上げていたミストの顔に焦燥の色が走る。 彼は、既に完全に気を失っていた。 (ヴィン……) ミストが椅子から滑り落ちたヴィンスターレルに手を差し伸べるよりも早く、アストリアーデが跳躍し、ヴィンスターレルの喉元に、素早く両手に持った二本の短剣を突きつける。 「どうする? お姉さんが僕と一緒に来なければ、彼を今ここで殺すよ」 サリュートアの瞳に、昏い光が灯る。 アストリアーデも二人とヴィンスターレルを交互に見ながら、楽しげに微笑んでいた。 ミストは迷わなかった。 自ずから立ち上がると、サリュートアへと向け、無表情の視線を送る。 「――参りましょう」 それを受け、サリュートアも椅子から腰を上げた。 「世界なんかより、この人の方がよっぽど大事みたいだね」 くつくつと、喉の奥で笑い声を上げるサリュートアの言葉に、ミストは抑揚のない声で答えた。 「貴方には関係のないことです」 それが、ミストに張れる精一杯の虚勢だった。 『ミスト――?』 『ヴィン、さようなら』 『待ってくれ!』 伸ばした手は、ぎりぎりで彼女に届かない。 彼女の碧の目が、哀しげにこちらへと向けられた。 『ミスト!』 「――ミスト!」 声をあげ、ヴィンスターレルは跳ね起きる。意識はまだ、朦朧としていた。 (そっか……俺……気を失って……) 状況を瞬時に思い出し、素早く辺りを見回すが、どこにもミストの姿はない。サリュートアも見当たらなかった。 代わりに目に入ったのは、笑顔を浮かべ、それぞれの手の中で短剣をくるくると弄ぶアストリアーデの姿。 「うふふ……お兄さんたちってラブラブなんだね〜! うらやましくなっちゃう」 その言葉を言い終わらないうちに、アストリアーデの右腕が、ヴィンスターレルの喉を狙って瞬時に動く。ヴィンスターレルは、剣の柄で辛うじてそれを受け止めた。 休む間もなく、今度はアストリアーデの左手が閃く。ヴィンスターレルの鎧の隙間を縫い、脇腹を正確に狙った一撃だった。ヴィンスターレルは、今度は抜き身の剣でそれを弾き、そのまま後方に跳躍すると、相手との距離を取る。 「お兄さんと、一度こうやって戦ってみたかったんだよね〜」 アストリアーデは笑顔を絶やさぬままで、そう言った。 (こいつ……強ぇ……) ヴィンスターレルは間合いを計りながら、現状を分析した。 力や技術は、恐らく自分の方が上。 だが、速さは身軽な彼女の方が確実に勝っている。何より急所ばかりを狙った的確な動き。手の抜ける相手ではない。 だが、ミストの居場所を聞き出さなければいけないことを考えると、本気で戦うわけにもいかなかった。 どう考えても、分が悪い。 ヴィンスターレルが、思考を巡らせているうちに、アストリアーデの次の攻撃が―― ――来る。 ミストが連れてこられたのは、白く輝く石で囲まれた、とてつもなく広い空間だった。 だが、その隙間を埋めるかのように、真っ白なベッドや巨大な硝子の瓶のようなもの、様々な器具や紐状のもので、床や壁が覆われている。向かって左側の壁には、大きな硝子窓のようなものがあり、そこには、目を閉じた女性の姿が映し出されていた。 (ここは……) ミストは無表情を装い、厳かに歩きながら、必要最低限の目の動きだけで、周囲を観察した。 「ここは、テラ・パトリシュアの胎内だよ」 ミストの心を見透かしたかのように、サリュートアが口を開く。 あの後、ミストはサリュートアに導かれるまま、部屋の奥に隠されていた『カーゴ』に乗せられ、長い道のりを無言のまま過ごした。距離と、サリュートアの口振りからして、恐らくここは『中空の平原』。 前を行くサリュートアが足を止め、こちらを振り返る。 ミストも、それに合わせて立ち止まり、視線を真っ直ぐに向けたまま、口を開いた。 「貴方が欲しいのは、わたくしの血ですね?」 こうして、静と動、二つの戦いが始まった。 |