微睡みの大地

微睡みの大地 2

 ヴィンスターレルが気がついた時には、目の前に、血まみれのアストリアーデの姿があった。荒く、浅い呼吸を繰り返している。ヴィンスターレルの持っている剣も赤く濡れていたから、多分、これで斬ったのだろう。だが、その記憶はない。
 息が苦しい。心臓がバクバクいっている。激しい眩暈と頭痛、周囲も何重にも見え、視点が定まらない。絶え間なく襲ってくる吐き気。今にも、倒れそうだった。
 しかし、何とか剣を杖にして立ち上がると、アストリアーデの元に、覚束ない足取りで近寄っていく。
「お父さん……?」
 彼女は、虚ろな目でこちらを見ながら、呟いた。意識が混濁しているのだ。声に、ひゅうひゅうという音が混じっている。出血も酷い。もう、長くはない。
「お……父さん……」
 彼女は、もう一度その言葉を呟く。目の端から、涙が一筋零れ落ち、小麦色の肌を濡らす。
「ああ……お父さんだ」
 ヴィンスターレルは、そっとアストリアーデの手を取ると、搾り出すような声で言った。すると、アストリアーデは頬を引きつらせる。笑おうとしたらしい。
「あたし……ね、頑張ったんだよ……お父さん……から、言わ……れたこと、ちゃんと……守って、頑張ったよ……」
 切れ切れに言う彼女の言葉に、ヴィンスターレルは頷くと、彼女の頭を撫でた。
「ああ、偉かったな……よく頑張った」
「お父さん……に、初め……て、褒めら……れた……嬉しい……ねえ……もう、どこにも……いかないで……ずっと、一緒に……いて」
「ああ、ずっと一緒にいる」
「本当……?」
「本当だ」
 それを聞くと、アストリアーデは、嬉しそうな表情をし、また涙を流した。
「約束……だよ、ずっと……ずっと……一緒に……お……」
 そこで、彼女の身体から力が抜けた。
 ヴィンスターレルは、アストリアーデの亡骸を抱えると、部屋の奥へと向かう。『テラ・パトリシュア』へと繋がる、『カーゴ』の入り口。
 自分は、この場所を、『覚えて』いる。
 アストリアーデの懐から、水晶球を取り出すと、彼はそれを『センサー』にかざした。

 それから暫くして、様子を見に来たマーズは、部屋の惨憺たる有様に驚き、そして、ひとつの血文字を見つけた。
 『女神の眠る地へ』――

 サリュートアは、ミストを白いベッドに横たえると、近くにあった機器から伸びるチューブを、彼女の腕に繋いだ。これで、血液の中の『メモリーコード』のみを採取することが出来る。時間はそんなに掛からない。
 ミストの顔は蒼白く、まるで死んでいるかのように見える。しかし、彼女は微笑んでいた。
《ファースト・セクション正常起動。セカンド・セクション起動まで、あと30ターンです》
 『テラ・パトリシュア』の無機質な声が、時を告げる。

『その先のことなど考えてはいらっしゃらないのでしょう?』

「……そうだよ。お姉さん」
 ミストの顔を見ながら、サリュートアは寂しげに呟いた。
 先のことなど、考えてはいない。
 自分が何をしたいのかも、分からない。
 けれども、自分には、こういう生き方しか出来なかった。こういう生き方しか、教わってこなかった。今さら、後戻りなど出来ない――そんなことを思う。
 自分は、他族殲滅のための、戦闘要員。
 ただの、戦闘人形。
 人間として見てもらった覚えなど、一度もない。
 でも、それでも良い気がした。元々、ゲイシュは科学者たちによって生み出された、兵器なのだから。兵器の末裔が、人間として生きることの方がどうかしているのだ。人間とともに、人間のふりをして、生きていくことなど、ただの欺瞞。
 でも、それをしようとしたフローティアとリメイニが、少しだけ羨ましかった。
 そして、憎かった。
 人間全てが、憎かった。
 アラームが鳴る。
 変換機から、データチップを取り出すと、あとの二枚とともに、テラ・パトリシュアのホログラムが浮かんでいる下の、台座の部分にある溝に差し込んでいく。
 すると、耳障りな警告音が鳴った。
《エラー。メモリーコードが不正です》
「……え?」
 その時。
 重い靴音が響いた。

 ヴィンスターレルは、サリュートアの前までゆっくりと進むと、アストリアーデの遺体を、そっと床に置く。
「アストリアーデ……」
 サリュートアは急いで駆け寄ってくると、妹を抱き起こす。
 彼女の身体は、どんどんと冷たくなっていく。
 たったひとりの妹だった。
 ただひとり、分かり合える仲間だった。
 いつも、一緒だった。
 そして、視線はヴィンスターレルへと移る。
「あ、あなたが……」
 サリュートアの声が、驚愕の色を帯びた。
 ヴィンスターレルの背後には、黄金色の巨大な鷲。
「リメイニ……!? だって……」
「お前と同じだ」
「え……?」
「お前らが攫っていったのは、俺の双子の弟だ」
「でも……まさか、ウィルス……?」
「そうだ。ミストの祖先は、俺の祖先に、俺たちが生まれたら、どちらかに、メモリーコードにバグを引き起こすウィルスを混入させろ、とアドバイスした。そして、それには弟が選ばれた……ったく。つくづく嫌な役回りだぜ」
「でも、あなたには『ル・パ』が……」
「そこが勘違いの元だ。フローティアは、能力を減退させるため、『封印』を徐々に施していった。リメイニも、徐々に施していったのは同じだが、能力を復活させることを前提に、行われたんだ。そして、俺は生まれたてで、一気に『封印』された。『ル・パ』が具現しないほどに。自我が確立していない頃なら容易い」
「そんな……」
 搾り出すように言う、サリュートアの声も身体も、小刻みに震えていた。
 怖いのだ。
 恐らく、生まれて初めて味わうほどの恐怖。
 フローティアは『予知能力』に長け、セイノールは『技術』に秀でている。
 そして、リメイニが誇っているのは、高い『戦闘能力』。
 目覚めたリメイニに、戦いでは敵わない。
 だが――『幻影術』なら互角。幸い、ヴィンスターレルは満身創痍。
 しかし、自身も恐怖のため、精神が安定しない。
 それでも。
「……あなたの大切な人は、今、僕の術の中にある。殺すのも簡単だよ」
「やれるものならやってみろ。それより先に、俺がお前を殺す」
 平静を装って、言ったサリュートアの言葉に返ってきたのは、圧倒的な威圧感。
《セカンド・セクション正常起動。サード・セクション起動まで、あと30ターンです》
 そこに被さる、『テラ・パトリシュア』の声。
「……時間がねぇ。最後の問いだ。『テラ・パトリシュア』を眠らせる気はねぇか?」
「さぁ、ミスト・フローティア! 自ら命を――」
 その言葉を言い終わるよりも早く、ヴィンスターレルの剣が、サリュートアの胸を貫く。
「ぼ……僕は、このために、生きて……生かされてきたんだ……もう、今さら後には戻れない……ねぇ、一緒に……新しい世界を創ろうよ……僕たちの……世界……を、お……ぐふっ……」
 ヴィンスターレルが剣を抜くと、サリュートアは、胸から鮮血を噴出しながら、床にゆっくりと崩れ落ちた。
「畜生……!」
 ヴィンスターレルの胸に、苦いものが走る。
 本当は、もう誰も殺したくなかった。
 しかし、『幻影術』を使っていたら間に合わなかっただろう。
 ミストを、死なせるわけには行かなかった。
《サード・セクション起動まで、あと20ターンです》
 『テラ・パトリシュア』の声が、無慈悲に響く。のんびりしている間はない。フォース・セクションが起動してしまったら、終わりなのだ。
 ヴィンスターレルは急いで、自らの『メモリーコード』を採取すると、データチップをスクリーンの下部に挿入し、『テラ・パトリシュア』のメインプログラムに呼びかける。
「『テラ・パトリシュア』、ユーザーエントリーだ」
 幾らリメイニの能力に目覚めたからといって、ヴィンスターレル自身は、『テラ・パトリシュア』を使ったことがない。そのため、ユーザーエントリーが必要になる。
《メモリーコード受理。ユーザーエントリーを開始します。パスワードを入力して下さい》
 一息ついてから、ヴィンスターレルは、パスワードを口にした。
「我、ゲイシュから連なる血族の者なり。『叡智』を示す宝冠、即ちフローティア、『技巧』を示す箱、即ちセイノール、『平定』を示す枝、即ちリメイニ。これを以ってテラ・パトリシュアとす」
《エラー。不正なパスワードです》
「――何だと!?」
 試しに、もう一度やってみるが、結果は同じだった。
 このパスワードが使えない、ということは、サリュートアたちが、パスワードを変えたことになる。パスワード変更は、ゲイシュの直系なら、自由に出来るようになっている。しかも、ユーザーエントリーしていないのだから、ヴィンスターレルがパスワードを変えることは出来ない。
(くそっ! ゲイシュの奴ら、つくづくいい加減なプログラムしやがって!)
 止めるには、三つに分かれた全ての血族の『メモリーコード』が必要な『ミレニアム・プロジェクト』といい、ゲイシュの施したプログラムには、欠陥が多い。つまり、何とかしようとするのなら、本意不本意に拘らず、全ての血族の協力が必要なのだ。腹立たしいことこの上ないが、腹を立てたところでどうにかなるものでもない。
《サード・セクション正常起動。フォース・セクション起動まで、あと30ターンです》
 時間がない。
 このままでは、『ミレニアム・プロジェクト』が発動してしまう。
(どうする……? 何かヒントはないか……?)
 その後、色々なパスワードを手当たり次第に試してみるが、全て徒労に終わった。
《フォース・セクション起動まで、あと20ターンです》
(落ち着け……考えろ……)
 サリュートアと、アストリアーデは、何か、特徴的なことを言っていなかっただろうか。
 しかし、果たして、そんなに分かりやすい形で示すだろうか。

『約束……だよ、ずっと……ずっと……一緒に……お……』
『ぼ……僕は、このために、生きて……生かされてきたんだ……もう、今さら後には戻れない……ねぇ、一緒に……新しい世界を創ろうよ……僕たちの……世界……を、お……ぐふっ……』

「もしかして……?」
 セイノールの二人は、最期の瞬間に、同じ言葉を口にした。
《フォース・セクション起動まで、あと10ターンです》
(やってみるしかねぇ)
 ヴィンスターレルは、自分の勘に賭けてみることにした。その言葉を、はっきりと口にする。
「お願い」
《パスワード受理。ユーザーエントリー完了です》
 『テラ・パトリシュア』の声を聞き、安堵とともに、胸が痛む。
 『お願い』――
 それはきっと、今までずっと、誰にも言えなかった言葉。
 言ったとしても、誰にも聞いてもらえなかった言葉。
 二人は、このスクリーンに映る、無機質な女神に、母の姿を重ねたのだろうか。
 そのようなことを思いながら、ヴィンスターレルは、データチップを、ベース・セクションの元へ入れていった。
《メモリーコード受理。ミレニアム・プロジェクトは、これよりコントロールモードに入ります》
「『ミレニアム・プロジェクト』強制終了。スリープモードに入れ」
《了解しました。スリープモードに入ると、ミレニアム・プロジェクトは今後一切起動しません。また、メインプログラムもスリープモードに入りますが、宜しいですか?》
「ああ。実行しろ」
《了解しました。フォース・セクション終了……サード・セクション終了……セカンド・セクション終了……ファースト・セクション終了……ベース・セクション終了》
 ここで、テラ・パトリシュアのホログラムが消え、台座が床へと戻っていく。
《ミレニアム・プロジェクト強制終了。スリープモードに移行しました。メインプログラム終了まで、あと90ターンです》
「ふぅ……」
 ヴィンスターレルは、深い溜め息をつく。
 が、しかし――
「――しまった! ミスト!」
 『テラ・パトリシュア』の方にばかり気を取られていて、ミストのことをすっかり忘れていた。慌てて駆け寄るが、彼女はまだ目覚めていない。こんなことなら、『テラ・パトリシュア』をスリープモードに入らせる前に、対処しておけば良かったと思うが、後悔してももう遅い。一度実行したプログラムは、キャンセルがきかない。指定されたターン以内にここを脱出しなければ、このままここで永眠することになる。
「ミスト! 起きてくれ! 頼む!」
 頬を叩いてみるが、彼女は一向に起きる気配を見せない。顔には、相変わらず笑みを浮かべている。
「おかしい……術者が死んだのに、何故だ……?」
『それは、彼女が、自ら術の中に居続けることを望んでいるからだ』
「何だと……?」
 『ル・パ』にそう言われ、ヴィンスターレルは戸惑う。そんなことがあるのだろうか――いや、このミストの表情を見たら、それもあり得る気がした。
 幸せそうな、微笑み。
「こうなったら、ミストと『シンクロ』する」
『やめろ、成功する可能性は低い。それに危険だ』
 『幻影』は『ル・パ』が創り出す。『幻影』は術を掛けられたものにしか見えないが、『ル・パ』は、見ることが出来る。そのため、同じ『幻影』を創り出すことも可能だ。ただ、最初から複数に有効な『幻影』を創り出すならともかく、通常は対象に適切な術を掛けるため、対象と同じ『幻影』を個別に創り出したところで、他の者には効果がないことが多い。しかし、同じ『幻影』を複数の者に見せられた場合、その内容は繋がり合い、絶大な効力を発揮することがある。けれども、ヴィンスターレルは、それを自分に掛けようとしているのである。この場合、解除できる術者が不在になるため、共倒れになる危険性があった。
「可能性が低くても、危険でも、やるしかねぇ!」
『それに、ミストはそれを本当に望んでいるのか? 彼女は術の中にいる方が幸せだから、抜け出せないのだぞ』
「それは……」
 確かに、そうかもしれない。
 自分のやろうとしていることは、ただの自己満足なのかもしれない。
 でも。
「――構わねぇ! もし、そうだったら、帰ってきてからメチャクチャ謝る!」
『……了解した。そこまで言うなら手伝おう』
 我ながら無茶苦茶な台詞だとは思ったが、『ル・パ』はとりあえず納得してくれたようだ。
 そして、ヴィンスターレルは、幻の中へと入る。

(ここは……?)
 そこは一面、花畑だった。
 周囲には青々とした山々が、抜けるような青空を背景に、聳え立っている。
 見たことのない場所だ。
(もしかして、失敗したか……?)
 ヴィンスターレルの胸に、一抹の不安がよぎる。
 だが、不安がってばかりいても仕方がない。とりあえず、花畑を進んでいく。
 すると。
「ミスト!?」
 ヴィンスターレルは、思わず声を上げる。しかし――
(いや、違う……)
 目の前にいたのは、ミストにしか見えない女性。しかし、その金髪は、肩まで届かないくらいしかない。
(もしかして、ここは……)
「あら。お見かけしたことがない方ですね。ミストのお知り合いですか?」
 その女性は、穏やかに微笑む。声音まで、ミストに似ている。
「はい。えっと……もしかしてここは、ベゼルという場所で、あなたは、レスミル・フローティアさんですか?」
「ええ、そうですが……どこかでお会いしたでしょうか?」
「いえ……レスミルさんは、有名ですから」
「そうでしょうか」
 ヴィンスターレルがそう言うと、レスミルはくすくすと笑う。こんなに丁寧な言葉で話したのは久しぶりだったから、ちょっとぎこちなかったかもしれない。
「それで……ミストに何か御用でも?」
「はい。大事な話があるんです」
 ヴィンスターレルのあまりに真剣な表情を見て、レスミルは少し戸惑ったような顔をしたが、すぐにまた微笑みを浮かべ、こう言った。
「もう、こちらに来ると思いますよ」
「お母さ〜ん!」
「ほら、来ました」
 声のした方を見ると、こちらに手を振りながら元気いっぱいに走ってくる少女の姿。
 ジェイムの部屋にあったのと同じ、太陽を思わせるように朗らかな、満面の笑みを浮かべている。
「はぁ……はぁ……花輪できた?」
 肩を上下させ、問うミストに、レスミルは相変わらずの穏やかな笑顔で、頷く。
「ほら。出来ていますよ」
「わぁ! カワイイ!」
 ヴィンスターレルは、その光景を見て、少なからず衝撃を受けていた。
 こんなに幸せそうに笑うミストは、今まで見たことがない。
 やはり、『ル・パ』の言うことの方が正しかったのだろうか。
「ところで、この人だれ?」
「これ、人を指差してはいけませんよ……この方はね、ミストに大切な御用事があるんですって」
「ふーん……で、お兄さん、何?」
 ミストは、輝くような碧い瞳で、こちらをじっと見つめている。
「俺は、ヴィンスターレル……ヴィンだ」
「ヴィンさん? よろしくね」
 ヴィンスターレルの言葉に、ミストは小さな手を差し出してくる。だが、その手を握る気にはなれなかった。名を名乗っても、何の反応もない。それが、何だか哀しかった。ミストは、不思議そうな顔をして、手を引っ込める。
(――くそっ!)
 ヴィンスターレルは、ミストの目の高さに合わせるように屈みこむと、彼女の肩を掴み、必死で訴える。
「ミスト、お前はサリュートアの術に嵌って、抜け出せなくなってるんだ! 頼む、正気に戻ってくれ! このままじゃ、『テラ・パトリシュア』の――」
「お母さん……この人、こわい……」
 ミストが怯えた表情で、レスミルに助けを求めている。
 ヴィンスターレルは、身体から力が抜けていくのを感じていた。
 どうやって、連れ戻せというのか。
 話を聞いてもらうどころか、怖がらせてしまった。
「ミスト」
 しかし、意外なところから、助け舟が出た。
「この方のお話を、きちんと聞きなさい。でないと……多分、貴女はきっと後悔する」
 レスミルに真剣な表情で言われ、ミストは、渋々ながらも頷く。
 しかし、ヴィンスターレルには、どうやってミストを正気に戻せば良いのか、分からなかった。
 すると、レスミルが再び口を開いた。
「ヴィンスターレルさん。迷うことなどないのです。貴方の正直な気持ちを、素直にお話しして下さい――ミストに、届くように祈りを込めながら」
 その言葉を聞き、ヴィンスターレルの迷いが吹っ切れた。
 ミストの小さな身体を抱きしめ、心の奥底から溢れてきた言葉を、そのまま伝える。
「ミスト……お前がここにいた方が幸せなのは分かってる。ここにいたいのも分かってる。後でどれだけ怒ってもいい、詰られてもいい……だけど、頼む、戻ってきてくれ……俺にはお前が必要なんだ」
 その瞬間。
「……ヴィン」
 世界が、崩れた。

(――!?)
《メインプログラム終了まで、あと20ターンです》
「……ヴィン? ここは……『テラ・パトリシュア』……?」
「ミスト……良かった! 説明は後だ。時間がない! 脱出するぞ!」
「は……はい」
 ヴィンスターレルは、ミストの手を引きながら大きく声を上げる。
「『テラ・パトリシュア』! 脱出用カーゴの扉を開け!」
《了解しました》

 『ゲイシュ』は、科学者たちの手によってつくられた人間型の兵器だ。
 そのサンプルのため、多くの人々の命が犠牲になった。
 『ゲイシュ』の特徴は、まず、人間と同じ外見を持ち、そして、人間とほぼ変わらない生体構造を持ち、予知能力、高い技術、ずば抜けた戦闘能力を持つこと、それに加え、相手に『幻影』を見せる力、生殖能力、そして、次の世代に記憶を受け継ぐことが出来る、ということだった。
 『ゲイシュ』開発チームは、完成を喜んだが、ひとつ、懸念があった。これだけ高い能力を持たせれば、反乱を起こすのではないか、ということだ。
 しかし、その対策として考えられたのが、『命令に背いたら即死亡する』というプログラム。
 けれども、『ゲイシュ』の方が上手だった。
 予知能力で、先を見越し、戦闘能力で科学者たちを皆殺しにし、自らの技術力で、プログラムを解除し、延命を続けた。
 そして、その間に、子孫をつくることになる。
 ただ、何の因果か、生まれた三つ子に、三つの能力が、それぞれ振り分けられてしまった。
 それが、フローティア、セイノール、リメイニの一族。
 また、『ゲイシュ』製作と同時期に、もうひとつの兵器である、『テラ・パトリシュア』も完成していた。
 『ゲイシュ』の二体は、人間を憎むあまり、『テラ・パトリシュア』を起動させ、リドス大陸全土を焼き尽くした。人口は、半分以下に減ったという。
 しかし、『ゲイシュ』たちは、死の間際、奇妙な行動を取った。
 千年後に、再び『テラ・パトリシュア』が暴走するプログラム。
 ただ、それは三つに分かれた血族の子孫が集まれば、回避される。
 あまりにも不確定な要素が多すぎる、杜撰な計画。
 彼らは、もしかしたら、人間を信じたかったのかもしれない。
 だが、その行動の真意は、『メモリーコード』からも消去されているため、謎のままである。

 『中空の平原』の中央から、天空に向かって、一筋の光が放たれた。
 それは、夜が明けていないのにも拘らず、辺りを真昼のように照らす。
「綺麗ですね……」
「ああ……」
 ヴィンスターレルとミストの二人は、平原の端、メイドス寄りの場所に立って、それを見ていた。
 脱出用カーゴの入り口は閉じ、もう、開くことはない。
 この光が何を意味するのか、誰にも分からなかった。
 『ミレニアム・プロジェクト』を阻止できたことへの祝福なのだろうか。
 それとも、大地の女神が眠りにつく前の、欠伸のようなものなのか。
「でも、これで全て終わったんですね……」
「ああ……うっ……」
「ヴィン!? どうしたんですか!?」
「いや……大丈夫だ……」
 気が抜けた途端、ヴィンスターレルは、またあの感覚に襲われ始めたのだ。息苦しさ、動悸、眩暈、頭痛、吐き気。そして、記憶の洪水。思わず蹲り、苦しみに耐える。
 生まれてすぐに『封印』された力を、短期間で一気に吐き出したのだから、心身に負担が来るのも致し方なかった。すると、焦点の定まらない目の先に、細い手が差し出された。
 思わず、上を見上げると、ミストの碧い瞳に捉えられる。
「わたくしにも、貴方が必要です……ヴィン」
 ヴィンスターレルは、無理矢理笑みを形作ると、その手を、そっと握った。

 人々は知らない。
 千年祭の裏で何が起きていたのかも、テラ・パトリシュアの正体も、戦争の真実も。
 そして、一般に開放されるようになった、『中空の平原』の片隅に、何故小さな石碑が建てられ、花が供えられているのかも。


 そして、一年の歳月が流れる――


 春。
 フローティア邸の庭で、ヴィンスターレルとミストは、芽吹き始めた花々を見ていた。
「ヴィン。お話があります」
「ああ、何だ?」
 ヴィンスターレルは、茶を啜りながら、ミストに問う。
 あれから、アレスタンは王政から、共和制へと移行した。初代の大統領として選出されたのは、レクサー。彼は、持ち前の手際の良さで、色々と根回しをしていたらしい。父親のダーゼンをも、今までの汚職の数々を理由に、議会から追放し、迅速な改革を行った。ヴィンスターレルとミストは、国会議員という要職に据えられることとなった。ちなみに、レクサーの妻となったのは、アーシェである。フローティア邸に遊びに来たときに、こともあろうか、ヴィンスターレルが教えた『笑顔』を見て、「可愛い」と一目惚れし、猛烈な勢いで求婚したのだ。これには、ヴィンスターレルだけではなく、ミストまでが目を丸くした。
 メイドスも、中央議会のあり方が改めて見直され、マーズが議会の中心となって動くことになった。これにより、アレスタンとメイドスは、半永久的な友好条約を結ぶこととなる。
「……新しい家族が増えます」
「――え?」
 腹を愛おしそうに撫でながら、微笑むミストに、ヴィンスターレルは、間の抜けた返事を返した。
「それって、もしかして……? えっと、ミストが母親で、俺が父親で、ジェイムは爺さんで……いや、違うな……って何言ってんだ俺は……と、とにかく、俺たちの子供か?」
「はい、わたくしたちの子供です」
 慌てふためくヴィンスターレルを見て、面白そうにくすくす笑いながらも、頷くミスト。
「それも、双子ですよ……男の子と、女の子」
「え? ……で、でも……今の医療技術じゃ、分からねぇんじゃ……?」
「わたくしを誰だと思っていらっしゃるのですか? これでも、フローティアの末裔ですよ」
「あ、ああ……そ、そうだな」
 悪戯っぽく笑ったミストに、ヴィンスターレルは、まだ落ち着かない様子で、頭を掻いた。ミストは、木々の切れ間から見える空を見上げ、一息つくと、暫くして、またヴィンスターレルの方を向くと、穏やかに言う。
「これも、縁なのかしら……わたくし、この名前しか思いつきません」
「俺も、同じこと、言おうと思ってた」
 そうして、二人は、そっと微笑み合った。


 ――こうして、様々な人々の思いをその胸に抱きながら、今日も、大地は微睡み続ける。

<了>

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